PROFILE

1925年生まれ。早稲田大学在学中に学徒出陣。復員直後の46年家業の呉服店「岡田屋」の社長に就任。70年ジャスコ(現・イオン)社長。84年同会長、2000年から現職。

(写真=北山 宏一)

「焦土に焼け残った土蔵で見つけた小売りの原点。『心の合併』を成長の力に」

 見渡す限り、焼け野原が広がっていた。早稲田大学在学中に学徒出陣し、終戦直後の1945年9月に復員した当時のことだ。戦時中に激しい爆撃を受けた三重県四日市市にあった家業の呉服店「岡田屋」は、店舗も商品もすべてが灰燼(かいじん)に帰した。

 唯一焼け残った建物が岡田屋の土蔵。そこには、私が家業を継いで、小売企業を経営する“原点”となる基本的な考え方が残っていた。当時すでに亡くなっていた私の父で、6代目当主の岡田惣一郎が渋沢栄一翁との出会いをつづった日記や、岡田屋に代々伝わる帳簿や店の規則などだ。

 その中で、私が最も心を打たれたのが「大福帳」だった。今でいえば、財務諸表のようなもので、当時としては先進的な「見くらべ勘定」というバランスシート(貸借対照表)に当たるものも残っていた。

 墨で書かれた文字を読む中で目を奪われたのが「奥こづかい」という項目。灯明代など細かく書かれていた。これは公私の区別を指す。岡田屋では江戸時代からお店の経費と個人の費用を明確に分けていた。「商人としてはこれが非常に大事なんだ」。そう言われたような気がした。

 その時以来、私はずっとバランスシートを重視し、公私を厳しく区別することを経営の根幹にしている。

 私たちは倒産を経験した企業の立て直しにも関わってきたが、そこで感じたことの一つは、やはりバランスシートの問題である。倒産する会社は、過剰な債務を背負っており、バランスシートが崩れている。バブル期の土地神話に踊った例などはその典型である。

 もう一つは経営者に公私の区別がないことが散見されることだ。やっている本人はそう思っていなくても、周囲はみんな知っている。公私の区別が曖昧になり、倫理観が崩れてくると、人も企業も駄目になってしまうとつくづく思う。このことは国家レベルや政治の世界でも大切なことだ。