PROFILE
富士フイルムホールディングス会長・CEO。1939年旧満州国生まれ。63年東京大学卒業、富士写真フイルム入社。2003年6月代表取締役CEO就任。写真フィルムに依存した事業構造を大転換した。
(写真=的野 弘路)

「熊本地震で発揮された社員のオーナーシップ。
工場の危機を救う」

 写真フィルム市場が消失するという未曽有の危機を乗り越える中で、社員の力が磨かれ、レベルが上がってきている。

 最近強くそう感じる出来事があった。4月中旬に発生した熊本地震だ。

 液晶ディスプレーに使う偏光板保護フィルム「フジタック」。我々の世界シェアは7割で、熊本にある富士フイルム九州の工場だけで世界の4割強を生産している。この工場がストップすれば、世界の液晶パネル生産に大きな影響を与える。

 2度の大きな地震で8つの生産ラインは全て止まったが、2週間後の4月末には再稼働にこぎ着けることができた。多くの取引先から「復旧が非常に早くて助かった」と評価の声を頂いている。

 「フジタック」の生産ラインは、流延するフィルムの厚み精度を1万分の1ミリレベルで制御して生産する「巨大な精密機械」。設備再稼働の準備に通常は2カ月ほどかかる。

 断続的な余震が続く中、なぜこれほど短期間での復旧を実現できたのか。

 一つは初動の早さにあった。地震発生直後の朝9時には東京本社内に災害対策本部を設置した。日本国内にある全ての販売・生産拠点の被害状況を確認できるウェブシステムを活用し、情報を収集。即座に復旧計画の作成に乗り出した。

 その日のうちにサポートの第1陣が福岡空港経由で現地入りした。東日本大震災を機に強化した災害発生時のBCP(事業継続計画)が機能したと言える。

 計画に基づき、国内の他の工場の生産技術者50人と、協力会社から約150人の計約200人を現地に派遣した。「フジタック」は写真フィルムから派生した製品。長年培った緻密な生産技術には独自のノウハウがある。

 生産技術はバイオ医薬品など新規事業で生産効率を高めるのに役立つし、今回のような非常時にも大きな力を発揮する。普段は目立たない存在だが、富士フイルムの競争力の源泉とも言える技術群だ。

 工場は大きな被害があった益城町に隣接した菊陽町に位置する。322人の社員のうち自宅が倒壊した者も少なくなく、約7割が車上や避難所生活を強いられた。被災直後は約3割しか出社できない状況だった。

 自分たちの生活そのものが大変な状況にもかかわらず、多くの社員が必死になってラインの復旧に取り組んでくれた。

 この社員の頑張りに感謝したい。彼らには、自分たちの仕事に対する強い責任感、そして自分が何とかしないといけないという「オーナーシップ」があった。

 「フジタック」は圧倒的な世界シェアを持ち、取引先に「代わりに他社で調達してください」とは急にお願いできない製品だ。強いメーカーであるが故の使命がある。使命感は社員の誇りにつながり、責任感も育む。

 自分たちに向けられた期待に応えたいという思いは仕事を行う上での重要な原動力になる。私も若いころ、初めて責任のある仕事を任せてくれた上司の期待に応えようと仕事に邁進した時期があった。

 会社の期待に応えたい。取引先の要望に応えたい。そう心底思えるかどうかが重要だ。その気持ちさえあれば、つらい状況にも、厳しい時間的な制約にも耐えることができるのだ。

 困難を乗り越えるたびに社員はより一層良い表情になり、会社の質も高まる。熊本地震後の社員たちの復旧活動に、会社のさらなる進化を感じることができた。

日経ビジネス2016年6月13日号 160ページより目次

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