希望の党が民進党を巻き込んだ末に完敗し、自民圧勝に終わった先の衆院選。前号に引き続き、「敗軍の将、兵を語る 衆院選スペシャル」をお届けする。中央と地方、それぞれ政局の裏側で何が起きていたのか。敗者が裏側を語った。

<span class="fontBold">9月27日、都内で希望の党の設立会見を開催した小池百合子代表(中央)。若狭勝氏(右)、細野豪志氏(左)ら発足メンバーが脇を固めた。この時は高揚と期待が高まっていたのだが……</span>(写真=毎日新聞社/アフロ)
9月27日、都内で希望の党の設立会見を開催した小池百合子代表(中央)。若狭勝氏(右)、細野豪志氏(左)ら発足メンバーが脇を固めた。この時は高揚と期待が高まっていたのだが……(写真=毎日新聞社/アフロ)
希望・東京10区
若狭 勝氏 [前衆院議員]
期待が高まりすぎた 議員は目指さない

 希望の党・小池百合子代表の右腕で発足メンバーの若狭勝氏が、小池代表から地盤を継いだ東京10区でまさかの落選。比例復活もできず議員バッジを失った。自身の落選と党全体の不振を語る。

 今回の結果は残念極まりない。支援していただいた方には申し訳ないという気持ちでいっぱいです。特に私が出馬した東京10区は希望の党代表の小池(百合子)さんから引き継いだ議席という意味で、じくじたる思いです。

 ただ、それは選挙の結果ですから、致し方ない。厳粛に受け止めた上で、気持ちを切り替え、前を向いてかなり色々と考えております。

 希望の党の立ち上げにおいて、私自身、短期間に相当、力を尽くしました。完全徹夜も2日間ありました。この東京10区というのが希望の党としては一番象徴的ということで、自民党は「若狭をつぶす」と、かなり力を入れているとは噂で聞いていました。ですから、いち早く選挙区に入りたかったのですが、とにかく党の仕事をやる人が限られていた。それを投げ出すわけにはいきませんでした。

 ようやく、党の仕事から自分の選挙モードに切り替えることができたのは公示日の前日、10月9日の午後3時。非常に短い時間でした。東京10区に加わった中野区と新宿区(の一部)に公示前、一度も行けなかったことが心残りです。

 希望の党全体としても50議席と残念な結果に終わりました。私は、政権交代は起きないにせよ、100議席前後はいけるだろうと考えていたのですが、遠く及びませんでした。

 代表が選挙に出ないことがはっきりとしたのが、あまりにも選挙間近だったために、それまで高まっていた期待がしゅんとしぼみ、より一層風を止めてしまう、あるいはアゲンストの風にしてしまう、ということがあったのではないかと思います。

 もともと私にはこの選挙で政権交代を、という思いはなかった。希望の党が単独で政権交代するのであれば「次の次」と最初から考えていました。というのも、私は小池さんが衆院選に出馬しないことは最初から最後まで分かっていたからです。

戦略的に言った「次の次」発言

 政権交代を目指すのであれば、首班指名が誰であるかはっきりさせることが必要です。そして民進党の方々を全員受け入れるのであればともかく、それもできない。2つの条件を満たすことがないまま政権交代が現実にできるかというと、それは難しいだろうと冷静に思っていました。

 ですが、9月25日に小池さんが希望の党を立ち上げると発表し、政権交代を目指す政党であるということを強く打ち出した。それは、みんなの関心を誘って有権者の意識を高め、投票率も上げよう、という目的が小池さんにおいてはあったと思います。

 同時に、小池さんが衆院選に出るだろう、という期待感も高まっていきました。しかし、期待感の高まりは、リスクでしかありませんでした。

 小池さんが出ないとなった時に、ずっと高まっていた期待が、ジェットコースターのように一気に急降下してしまう。一気にしぼんでしまう。しぼんだ状態で選挙戦に挑むというのは、これはリスク管理としてあり得ない。それは負けるだろう、と危惧していたので、私は世間の熱をクールダウンさせようとしました。

 10月1日のNHKの番組で、「今回ではなく次の次の選挙で確実に政権交代できる議席に達するという思いでいるとすれば、今回(選挙に小池代表が)出なくても構わない」と、あえて戦略的に話したのです。

 小池さんにそう言いますよと事前に伝えたら、「絶対やめて」と言われるに決まっています(笑)。なので独断で言いました。小池さんからは「あれはマズイよ。やめてね」と言われましたが、私なりの一つのメッセージだったのです。しかし、現実は危惧していた通りになってしまいました。

 もっと早い段階で、選挙に出ないということをはっきりとさせておく方が戦略的にはよかった。出ないことを前提に、次の戦略も合わせてセットで訴えていく方が、私はもっといい形で戦えたんじゃないかと思うんです。それができなかったというのが、これだけの敗北になった要因だと思います。

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