今年夏の大会を最後に監督を退任しました。1965年に母校の横浜高校のコーチになり、68年に監督に就きました。50年余りに及ぶ指導者人生を振り返ると、選手である生徒の気質や時代の変化に応じて接し方を4回くらい変えてきています。最初は優勝を目指し、とにかく厳しい練習を課して生徒を鍛え上げた。その結果、73年春のセンバツ大会で初出場初優勝を果たしました。

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