米国本社とひるまず交渉 少年期の困窮をバネに父の一言を胸に不屈の歩み

 日本だけが俺のチキンを作り続けてくれた……。ケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネル・サンダースさんが晩年に言ってくれたのはとてもうれしいことです。米国本社では効率化のために創業の味が失われていったのに対して、日本法人こそが本来の味を守り抜いたと認めてくれたのです。約18年間、社長を務める中で、決して譲れないことでした。

(写真=村田 和聡)

 日本事業は米社と三菱商事の合弁で1970年にスタートしました。私は異業種からの転職で1号店の店長となりました。人材不足のため入社1年後には取締役となり、悪戦苦闘しながら店を増やしていきました。意外な障害となったのが、米社の介入でした。冷凍の輸入鶏肉を使うことや、機械化しやすいように調理手順を単純にすることを求めてきたのです。米社は当時からM&A(合併・買収)のマネーゲームにさらされて、味よりも短期的利益を求めるようになってしまったのです。