カレーを人民食に 「四現主義」で乗り越えた 我慢の歴史

(写真=北山 宏一)
(写真=北山 宏一)

 実を言うと、最初は自信がなかったんです。東京で当時のダイエーや西友などの流通大手にハウス食品の商品を売り込んでいた私は「中国でカレーライスが受け入れられるか、レストランを開いて調べてこい」という社命を帯び1996年に単身、中国に渡りました。翌年に上海の一等地にレストランを開きましたが、初日のお客様の8割が日本人。1年後、日本の本社に「やっぱり、日本人はカレーが好きでした」とリポートを書く自分の姿が脳裏に浮かびました。

 ところが、3カ月後には中国人比率が78%になりました。口コミだけで広がったんです。客単価は42元(約700円)。当時の上海の平均月給が800元くらいです。それでも若い女性客を中心に来店してくださる。中国でもカレーは受け入れられると確信しました。

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