本記事は2016年4月25日に「日経ビジネスオンライン」で「有訓無訓」として掲載されたものです。海部俊樹元首相が2022年1月9日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

追悼

海部俊樹元首相が亡くなりました。

海部さんは選挙に強い政治家でした。
戦績は16勝1敗。
たった1度の敗戦を機に政界を引退されました。

初当選から連続16回の当選を重ねることができた要因は、
ご本人いわく「自分の言葉で語ること」。
「街頭演説が何より好き」で、
引退後も街頭に立ち語りかけたいと希望を語っていました。

「海部、お前は死ね。国のために死ぬ覚悟を決めよ」
1989年に首相に就任する際、竹下登氏からこう説得されたといいます。
宇野宗佑首相(当時)の女性スキャンダルもあり、自民党はこの年の参院選で惨敗しました。
リクルート事件に関わった安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄の本命3氏は謹慎。
後継難の中、“クリーンな玉”である海部さんに思いがけず首相の座がめぐってきました。

海部さんには、失礼ながら“弱い首相”のイメージが付きまといます。
三木武夫氏を恩師と仰ぐ海部さんが、その三木氏と激しく対立した田中角栄氏の派閥を継承した竹下派を後ろ盾に首相に就任。
強大な力を持つ竹下派の“傀儡(かいらい)”となることが懸念されました。

政治家ですから妥協もあったことでしょう。
しかし、海部さんは戦後政治に一線を画す大きな決断をされました。
湾岸戦争に伴う自衛隊の海外派遣です。
湾岸戦争が停戦となったあと、ペルシャ湾の機雷を除去すべく海上自衛隊を派遣しました。
「自衛隊が、訓練以外の目的で外国に派遣されるのは初めてのこと」でした。

ここに至るまで、自民党内の議論は紛糾しました。
自民党主流派は停戦前から自衛隊派遣に積極的。
中には「千載一遇」という表現を使う議員もおり、
海部さんは「満州事変を連想し不吉を覚えた」と振り返っています。

他方、「やるな、やれば蟻(アリ)の一穴になる」と戒める勢力も揺るぎません。
その筆頭が後藤田正晴氏でした。

両勢力の対立の中で、海部さんは決断しました。
「人的協力は私の信念だ」
「武力行使はしない」
「それ以外の国際貢献は積極的に」

そして、国連平和協力法案の廃案があったものの、実現したのが掃海艇の派遣です。
先の大戦のあと、安全保障面での国際協力において“鎖国”していた日本が“開国”した瞬間でした。

日本の安全保障政策を“開国”に導いた海部さんのご冥福を心からお祈りします。

(日経ビジネス シニアエディター 森 永輔)

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