「まねされる商品をつくれ」。鴻海精密工業のテリー・ゴウさんも尊敬するというシャープ創業者、早川徳次さんの言葉です。その言葉通り国産第1号のテレビを作りましたが、肝心のブラウン管を自社で作れないのがシャープの長年のコンプレックスでした。
転機は1960年代に始まった電卓戦争。机ほどの大きさだった電子計算機の小型・低価格化を巡る電機各社の争いは当初「50万円以下」が目標でした。今ではカード大が100円ショップに並びます。この熾烈な競争からLSI、太陽電池の技術が開花しました。もう一つが、後にシャープの看板となる液晶表示装置です。同社は生き残りのためにまだ未成熟の技術に目をつけ、試行錯誤して量産にこぎ着けます。悲願だった表示装置の自社生産でした。
18世紀の風刺小説「ガリヴァー旅行記」には「必要は発明の母」とあります。シャープも「電卓競争を勝ち抜く」「表示装置を自社生産する」という必要から、液晶事業化の先鞭をつけ一時は世界を席巻することができたのです。その後、経営危機を迎えましたが、その話はまた別の機会に。
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