1853年に来航した黒船は、その前の年からやって来ることが分かっていたそうです。ペリーという男が乗って来るということまで。鎖国の例外だったオランダが江戸幕府に米国の動きをリポートしてくれていたためですが、幕府はそれを生かせていたのかどうか。横浜開港資料館の蔵書を見てみました。

 開国を要求したペリーは半年後に再び来航、回答を迫ります。1回目の交渉の後、幕府は盛大な接待の場を設けます。約300人を招き、品数100を超える豪華な本膳料理でもてなします。

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