死を覚悟して最後に出した詩集で、綱渡りの生涯だったと振り返った。苦闘しながらも事業に理念を注ぎ込み、新たな価値を社会にもたらした。世界初の無印ホテルが中国に18日開業。堤の思想の普遍性が試される。

堤清二(つつみ・せいじ)
(写真=村田 和聡)
(写真=村田 和聡)
1927(昭和2)年、東京都出身。東京大学卒業後、父親で衆議院議長だった堤康次郎の政治秘書を経験。54年に西武百貨店入社、66年に同社社長。父が築いた西武鉄道グループから独立した西武流通グループ(セゾングループ)を育て上げた。91年グループ代表を辞任。経営者時代から、辻井喬のペンネームで詩集、小説などを多数執筆。2013年に86歳で死去。

 「いまとてもつらい状況にあります。しかし、もう一度、何か一緒にやりましょう」

 堤清二にこんな内容の手紙を書いたのは、ダイエー創業者の中内㓛。2005年に他界する数年前のことだ。堤の側近によると、毛筆で書かれた長文の手紙だったようだ。

 巨額負債と本業不振からダイエーは1990年代後半、深刻な経営難に陥った。中内は失意の中、2000年に会長を退任、翌年には取締役からも退いた。

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