バブル期までの拡大戦略で「共犯」だったはずの銀行は豹変した。容赦なく負債の返済とセゾン解体を迫る銀行に、堤は対峙した。グループ内にも生じた火種を消すため大物政治家に頼る場面もあった。

堤清二(つつみ・せいじ)
(写真=村田 和聡)
(写真=村田 和聡)
1927(昭和2)年、東京都出身。東京大学卒業後、父親で衆議院議長だった堤康次郎の政治秘書を経験。54年に西武百貨店入社、66年に同社社長。父が築いた西武鉄道グループから独立した西武流通グループ(セゾングループ)を育て上げた。91年グループ代表を辞任。経営者時代から、辻井喬のペンネームで詩集、小説などを多数執筆。2013年に86歳で死去。

 西武百貨店の元幹部は、ある巨大レジャー施設の開発を巡って堤清二とかつて、こんなやり取りをした。

 「西武百貨店がやるのは無理があります。あんなに長期で資金が必要な事業は小売業にはできません。やめるべきです」。こう進言すると堤は激怒した。「そんなこと分かっている。貴様に言われる筋合いなんかひとつもない。あれは西洋環境開発にやらせるんだ」

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り5389文字 / 全文文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題