恩藏直人(おんぞう・なおと)
早稲田大学理事・商学学術院教授
1959年生まれ。82年早稲田大学商学部卒業。早稲田大学商学学術院長・商学部長などを歴任。専門はマーケティング戦略。観光庁マーケティング戦略本部員。

(写真=アフロ)
(写真=アフロ)

 政府は訪日外国人(インバウンド)数の目標を2020年に4000万人、2030年に6000万人へと上方修正した。従来目標は2020年に2000万人だったが、円安などを背景に爆発的に訪日客が増加していることを踏まえた。

 我が国における4000万人という数字は、他国と比べてどのように理解したらよいだろうか。日本政府観光局(JNTO)による2014年の数値で比較すると、第1位はフランスで8370万人。以下、米国の7475万人、スペインの6499万人、中国の5562万人と続く。

 1341万人を記録した時点での日本は世界で22位、アジアで見ても7位にとどまっている。仮に4000万人に達したとしても、世界ではトップ5に入らない。治安が良く、歴史、文化、自然などの観光資源を考えると、インバウンドにおける伸びしろはまだまだ大きそうである。

日本のトップ5入りはまだ遠い
●世界各国への外国人訪問者数

<p id="text01">日本のトップ5入りはまだ遠い<br />●世界各国への外国人訪問者数</p>
注:2014年。中国は香港・マカオを除く 出所:JNTO
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訪日客7人で日本人1人の消費

 インバウンド増加の意味は何だろうか。最も大きな点は経済効果である。最近の調査によると、2015年の訪日外国人の消費額は3兆4771億円で、1人当たりの平均消費額は約17万6000円。「爆買い」で知られる裕福な中国人の訪日が増加すれば、今後、その額はもっと大きくなるはずである。

 日本人の1人当たり年間消費額が約122万円であるため、7人の訪日外国人で1人の定住日本人と同水準の消費額となる。当面、人口増加を見込むことのできない我が国にとって、インバウンドは経済規模を維持し、さらには底上げする上での大きなカギとなる。

 政府は2020年までに、訪日外国人の消費額を8兆円にしたいと考えている。この数字は外貨獲得という点で、12兆円ある自動車輸出額に次ぐ大きさだ。

 しかし、インバウンド数の追求に問題がないわけではない。現在のところ、訪日外国人の観光ルートはゴールデンルートと呼ばれる東京、京都、大阪に集中している。

 そのため、東京や大阪などではホテルの供給が追いつかず、通常のビジネスホテルでも一部では1泊2万円を超える料金設定となっている。京都の街中では恒常的な渋滞に悩まされており、いずれも日本国民にとっては迷惑な面がある。経済面だけを優先して数字を追い求めていると、国民からの支持は得られない。

 ここで重要になるのが「デ・マーケティング」だ。売り上げや顧客の増加だけを追い求めるのではなく、あえてそうした数字を抑制し、ブランド価値の向上につなげる、という考え方である。

 海外の事例では、無計画な開発による観光客の急増で景観が悪化したインドネシア・バリ島がある。インドネシア政府は同島の中でも高級リゾートとして知られるヌサドゥアをモデル地域とし、島全体を質の高いリゾート地に再生している。

 事例は日本にもある。長野県の上高地では、入り口となる中の湯ゲートより先はマイカーでの乗り入れを規制している。観光客が気軽に立ち寄るのが難しくなるが、自然を維持し、観光地としての長期的価値を持続させる上では賢い政策と言える。

 バリ島や上高地の取り組みは、デ・マーケティングの発想に基づいている。自然環境も文化財も、失われた観光価値を回復することは極めて難しい。観光立国を標榜するのであれば、政府は数字だけではなく質に対する意識も今から抱く必要がある。

新観光ルートを開発せよ

 一つの解決策は新製品開発の発想だ。例えば、東北エリアや瀬戸内エリアなどを一つの新製品(観光ルート)として開発し、海外に魅力を訴えていく。

 政府が3月にまとめた「明日の日本を支える観光ビジョン」では、広域観光周遊ルートを世界水準へ改善すべきと提言している。地方への展開がなければ、4000万人という数字は達成しにくいだろう。

2013年以降、顕著な伸びを示している
●訪日外国人数の推移

<p id="text01">2013年以降、顕著な伸びを示している<br />●訪日外国人数の推移</p>
出所:日本政府観光局(JNTO)
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 東京や京都などのゴールデンルートだけでインバウンドが増加すれば、特定の観光地のみが混雑し、その観光価値は低下していく。結果として、ネガティブなクチコミが増え、リピーター客を失うことになる。

 フランスのブルゴーニュ地方やドイツのローテンブルク・オプ・デア・タウバーなど、定住人口は少なくても外国人旅行者で潤っている海外の地方都市は少なくない。訪日外国人を地方へ振り向けることができれば、政府が旗を振る地方創生にとっても強力な推進役となるはずだ。

 インバウンドには旅行者だけではなく留学生も含まれる。文部科学省は2008年、2020年をめどに留学生30万人の受け入れ計画を立てた。多くの大学がそれに呼応し、留学生枠を増やしている。18歳人口が減少している日本の大学にとって、海外からの優秀な学生たちによって学力水準を維持したり、日本の学生を意識の高い留学生たちとともに学ばせることでグローバルマインドを効率よく醸成したりできる。

 インバウンドは経済面での貢献にとどまらず、国民の意識を変える働きもある。四方を海に囲まれた日本人はどうしても内向きになりやすいが、今やあらゆる企業が海外との競争を余儀なくされているだけでなく、日本にいながらにして外国人と交流またはビジネスする機会も増えている。インバウンドの増加は、日本人が異文化を理解し、もっと海外に目を向ける手助けにもなるだろう。

日経ビジネス2016年5月9日号 74~75ページより目次

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