かつてイトーヨーカ堂は、創業者・伊藤雅俊の「商人道」が高収益を支えた。だが1980年代に入ると、米国譲りの「チェーンストア理論」の限界が露呈。鈴木敏文はV字回復させたが、総会屋事件を境に逆風が強まる。=敬称略

鈴木敏文(すずき・としふみ)
1932年12月、長野県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。63年にイトーヨーカ堂へ転職。73年にヨークセブン(現セブン‐イレブン・ジャパン)を設立し、コンビニエンスストアを日本に広めた。コンビニに銀行ATMを置くなど、常識にとらわれない改革を実施。2016年5月にセブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)から名誉顧問に退いた。人生観は「変化対応」。(写真=的野 弘路)

 「僕は、セブンイレブンを作ったときに、まず部下に言ったことは、絶対にイトーヨーカ堂のまねをしてはいけないということでした」

 鈴木敏文は、セブン-イレブン・ジャパンが成功した理由について、こう話す。確かに、セブンイレブンの成功は、従来の小売りの常識にとらわれず、愚直に素人感覚で消費者が求める商品やサービスを開発し続けた成果と言える。

 一方、鈴木がセブンイレブン創業に当たり「反面教師」にしたというヨーカ堂の業績(単体)は、長らく低迷している。1993年2月期に営業利益で839億円を稼いだのをピークに、その後は右肩下がりで悪化してきた。2016年2月期には1972年の上場来初めて、約140億円の営業赤字に転落。不採算店の閉鎖と事業構造改革が待ったなしの状況に追い込まれている。

 全く希望をしていなかったヨーカ堂に中途で入社した鈴木は、精力的に仕事をしながらも、スーパーというビジネスに対して懐疑的になっていった。既に70年代から、「スーパーの理論というのが、いつまでも続くものではないとみていた」と言う。「当時、スーパーは伸びていたけど、それがそのまま行くとは思っていなかった。スーパーのよさは、平積みされた商品から掘り出し物を探すことだった。在庫を豊富に持てばよかったんです。それは結局、伊藤(雅俊、現名誉会長)さんも中内さん(㓛、ダイエー創業者)も、基本的にはみんなアメリカのやり方をそのまま持ってきていた。要するにスーパーってのは、アメリカの物まねですよ」。

 当時、日本の流通業界の理論的支柱となっていたのが、読売新聞出身で流通コンサルタントとなった渥美俊一が日本に広めた「チェーンストア理論」である。標準化された店舗を大量に出店することで、規模の力で安く商品を仕入れ、販売しようという考えである。渥美は、小売り先進国の米国で生まれたこの理論を学ぼうと経営者たちに呼びかけ、米国視察を何度も組んだ。伊藤や中内もその中にいた。

 だが、鈴木はこうした潮流とは一線を画していた。

 「僕も、渥美先生と一緒にアメリカに視察に行ったことがあるけど、意味がなかった。アメリカは貧富の差が大きいし、人口もどんどん増えていく。でも、日本はそうじゃない。チェーンストアの仕組みをそのまま日本に入れてもダメだということを、再確認して帰ってきたという程度だったよ」