ハリケーン・スズキがやってきた

 89年にSEIからハワイでの営業権を買収した際、米国本社への出資要請もあった。90年1月から具体的な買収の検討に入ったが、同年夏にイラク大統領のサダム・フセインがクウェートに侵攻。伊藤は、売上高の4割以上をガソリンが占めていたSEIの業績に影響が及ぶことを懸念し、「買わないでおこうと言い出した」(当時の関係者)。

 最終的には鈴木の熱意が伊藤の慎重さに勝ったが、伊藤は最後まで財布のひもを緩めなかった。伊藤は極力、出資を抑えて、経営努力で会社を再建することを鈴木らに求めた。その結果、買収後も巨額の負債が、再建の足かせになり続けた。金利負担が重く、利益が負債の返済へと消える。イトーヨーカ堂の信用力で借り換えを進めても、金利負担の削減効果は限定的だった。

 SEI経営陣の「面従腹背」の態度も改革を遅らせた。鈴木は振り返る。

 「もうお手上げだと助けを求めてきたのに、コンビニの元祖は自分たちだという意識が抜けない。しかも、自分たちで売っている商品を試食しているのかと聞くと、していないんだよね。それを当然だと思っていた」

 「アメリカに行くたびに、そういうところがダメだと厳しく指摘すると、口では『はい、分かりました』と言うんだけど、言う通りに全然やらない。毎回怒鳴るものだから、『ハリケーン・スズキ』なんて呼ばれていたよ」

 鈴木は、日本で培った「単品管理」や「共同配送」などの仕組みを米国に持ち込み、現地の消費者の生活習慣に合った商品やサービスを提供するよう、経営陣や従業員に意識改革を迫った。

 「一番苦労したのは、ベンダーのルートセールス任せではなく、日本と同じように各店舗が自ら発注するように変えることだった。自社で持っていた巨大な物流センターも全て売却させた」

 幹部社員に熱心に説教をするさまは、現地社員から「スズキスクール」と表現されるほどだったという。こうしたテコ入れの成果もあり、SEIは買収の3年後に黒字化した。ただし、債務の返済は遅々として進んでいなかった。

 実は、この財務面の苦境から脱するきっかけを作ったのが、当初は買収に慎重な姿勢を示した伊藤だった。2000年1月、伊藤は「私の目の黒いうちに立派な上場会社にしろ」と関係者に指示。大胆な資本の追加投入によって、再建を加速することを了承した。

 伊藤はSEIの買収後、同社の会長として取締役会に鈴木らとともに出席していた。会議は鈴木が取り仕切り、伊藤は口を挟まなかったが、伊藤は会社のオーナーとしての立場から、鈴木らの改革を支えていたのである。