1号店からFCで投資を抑制

 「当時、親会社のヨーカ堂は1年に10店舗も出店していて、お金がなくて汲々(きゅうきゅう)としていたんです。しっかりとした金融機関のバックもなく、そんなにお金を出せず、直営のコンビニ展開は難しい。自分でもそれを分かっていた。じゃあどうするかと。商店街の酒屋さんと組むしかない。ロイヤルティーを払っていただくフランチャイズチェーン(FC)形式でね」

 FC加盟希望者がもっている店舗を活用できるので、鈴木たち経営側は投資が少なくてすむ。鈴木には、創業者の伊藤雅俊などの反対を押し切って事業を始めた手前、資金面で過度に頼れないという思いがあった。1店目でも直営で出すわけにはいかなかった。

 「だから、1号店を出す前に10人ほどいた幹部を前に、『史上最短で上場会社を作る』と宣言したんです。そうして資金調達の道を開くしかなかった。でも、みんなに大笑いされたよ」

 だが、鈴木はその目標を達成する。79年、会社設立6年でセブンイレブンは当時として史上最短の上場(東証二部)を果たしたのである。

 鈴木が描いたFC方式による小型店戦略は、流通業界に革新をもたらした。創業者の伊藤が信条としてきた「持たざる経営」を極めたのである。

 中内㓛が率いるダイエーに象徴されるように、当時は借り入れに頼って不動産を取得し、上昇する資産価値を担保に積極出店を続けるスーパーや百貨店が多かった。一方、伊藤はそうした手法ではなく、リース方式でヨーカ堂を出店することで初期投資を抑え、高収益の財務体質を築いた。

 こうした伊藤流の持たざる経営を継承して、鈴木が作ったセブンイレブンは、さらに身軽だ。FCによる店舗運営はもちろんだが、在庫管理や商品開発まで、外部の経営資源を徹底的に活用する事業モデルを確立したのである。

セブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)が出店した1号店。中央がオーナーの山本、その右奥が鈴木、左から3人目が伊藤

 出店については、当初は酒類販売免許を持ち、手堅い売り上げが見込める酒販店に狙いを定めて加盟店に勧誘。費用を抑えつつ出店を加速した。本家の米国セブンイレブンでは直営店の方が多かったのとは対照的だ。ダイエーのローソン、西友のファミリーマートもほぼ同時期に、実験店を始めたものの、当初、出店形態は直営だった。両社ともに本格的なFC展開は遅れた。

 小売業にとって最大の課題である在庫のリスクもヘッジした。加盟店自らが商品を発注し、加盟店が在庫責任は持つという原則を徹底したのである。

 米セブンイレブンでは、一部の商品を除き、メーカーや卸が各店舗で売れたものを補充し、売れ残ったら回収していた。鈴木は、「日本でも最初はそれをやらざるを得なかったけど、これじゃだめだとすぐに気が付いた」と話す。

 物流も自前では持たなかった。複数メーカーに対して、競合商品を一緒に運ぶ共同配送を受け入れさせ、卸らが共同配送センターを設置した。

 さらに、弁当やPB(プライベートブランド)など、コンビニの生命線である商品開発でも、食品メーカーや商社などの協力企業が技術やノウハウを持ち寄り、セブンイレブンと共同で作り上げ「チームMD(マーチャンダイジング)」という手法を確立した。

 「弁当にしても何にしても、(協業相手には)資本参加しないでお互いの信用によって成り立つやり方でやってきたわけ。例えば、中内さんには資本参加してグループ化しようという考えがあったでしょう。僕は、商品はお店で発注してくださいよ、発注したものについては責任を取ってくださいよというフランチャイズビジネスを作り上げてきたわけでね」