コンビニ業界で圧倒的な収益力を誇るセブンイレブン。強さの源流は、当初の資金不足から考え抜かれた「持たざる経営」だ。ダイエー・中内が目指した「流通革命」を鈴木は別の方法で貫徹した。=敬称略

「鈴木(敏文)会長(現名誉顧問)とは、43年前から一緒にやってきました。鈴木会長のおかげで、大変大きな成果を上げることができました。本当にありがとうございました」
5月26日、セブン&アイ・ホールディングスの本社で開かれた株主総会で、セブンイレブン1号店のオーナー山本憲司は、涙ながらに感謝の言葉を鈴木に伝えた。鈴木にとっても山本は恩人だ。山本がオーナーになりたいと手を挙げたところから、セブン-イレブン・ジャパンの成功が始まったからだ。
「山本さんは自分からオーナーになりたいと申し込んできた。新聞にイトーヨーカ堂がコンビニをやるという話が載って、それを見てね」
「みんなは(直営の)実験店を作るべきだと言ったんだけど、僕は初めから山本さんのような商店と一緒にやるつもりだった。山本さんの家に上がり込んで、色々話して僕は言ったの。もし3年でうまくいかなかったら、元通りにこちらで直しますから、店作りを全て仕切らせてほしいと」
鈴木が、弱冠24歳だった山本と組んだ背景には、当時問題となっていた大型店と小型店の軋轢(あつれき)があった。1号店をオープンした1974年には、大型店の出店を規制する大規模小売店舗法(旧大店法)が施行。だからこそ、鈴木は「大型店と小型店の共存共栄」という大義名分を旗印にしたのである。
だが、そこにもう一つ、別の事情があったと鈴木は打ち明ける。
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