経営者・鈴木敏文の挑戦は、創業者・伊藤雅俊の慎重さと表裏だった。自らの成功は、中内㓛や堤清二の下ではあり得なかっただろうと言う。“ペテン”にかけられ入社した会社に半世紀をささげた理由とは。 =敬称略

鈴木敏文(すずき・としふみ)
1932年12月、長野県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。63年にイトーヨーカ堂へ転職。73年にヨークセブン(現セブン‐イレブン・ジャパン)を設立し、コンビニエンスストアを日本に広めた。コンビニに銀行ATMを置くなど、常識にとらわれない改革を実施。2016年5月にセブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)から名誉顧問に退いた。人生観は「変化対応」。(写真=的野 弘路)

 鈴木敏文が、セブン&アイ・ホールディングスの前身であるイトーヨーカ堂に入社したのは1963年。東京五輪開催の前年で、世界初の人口1000万都市となった東京では、猛烈な勢いで消費が拡大していた。

 「価格決定権はメーカーではなく消費者が握るべきだ」。こう宣言して“流通革命”の実現を目指したダイエーの中内㓛が、初めて東京に出店したのもこの頃である。

 東京では、新しい消費の胎動も始まっていた。西武グループの総帥、堤康次郎が急死。息子の堤清二が西武百貨店を継ぎ、後に渋谷のパルコなど文化発信拠点を設け、生活総合産業として成長することになるセゾングループ形成への第一歩を踏み出そうとしていた。

 ダイエーの中内、セゾンの堤…。流通業界の偉人たちが頭角を現し始めたまさにそのときに、鈴木は東京のローカルスーパーにすぎなかったイトーヨーカ堂に足を踏み入れたのである。

 それは全くの偶然だった。

 「小売業へ入ろうという気持ちはさらさらなかった。僕は、ヨーカ堂なんて名前も知らないし、スーパーなんて全然分からなかった」

 「トーハンの仕事の関係で知り合った作家の大宅壮一さんたちとテレビの業界で仕事をしようと思って、プロダクションを作るためのスポンサー探しをしていたとき、たまたま友人からヨーカ堂を紹介されてね。うちに来ればスポンサーになってくれるというから、ヨーカ堂に入ったんです。ところが、働き始めると、そういう話がなくなっていた。これはペテンにかかったなと。でも、すぐに辞めるのはしゃくに障るし、自分のプライドが許さないから、我慢していたというのが正直なところです」

 望んで始めた仕事ではなかったが、鈴木にとっては格好の自己実現の場がそこにあった。プロダクション設立の夢は破れたものの、別の形で鈴木の事業欲を満たしてくれるスポンサーがいたからだ。創業者・伊藤雅俊(現・名誉会長)である。