(イラスト=五島 聡)

 張富士夫(現・名誉会長)、池渕浩介(元・副会長)のようなトヨタ生産方式を伝える者たちは「現場に行け、帰ってくるな」と命じられている。

教えを乞う

 社会人だからむろんスーツは持っていたけれど、仕事中に着ることはなかった。朝から晩まで作業服を着て、現場にいた。「ムダを見つけろ」と言われているから、ラインの横に立っているのだが、ただ立っているだけでは現場の人間から「邪魔だ」と怒鳴られる。

 張も池渕もラインが止まったら飛んで行って、一緒になって不具合を見つけたり、作業者が「部品を持ってきてくれ」と言ったら、急いで取りに行ったり…。作業服を油で汚すことで作業者との距離を詰め、そして、世間話ができる関係になってから、ムダを見つけたのである。

 見つける、指摘するという上から目線ではなく、相談にのったり、教えてもらうことで現場のカイゼンを行った。

 トヨタ生産方式を体系化した大野耐一やその一番弟子の鈴村喜久男ならばひと目見て、管理者を一喝すればカイゼンは行われるのだが、入社8年前後の張、池渕にはそういった手法は取れない。愚直に「教えを乞う」という姿勢でなくては作業者は話をしてくれない。

 考えてみれば、最初のうちは手を動かすこともなく、冷たい視線のなかで、ただ立っているしかない仕事だ。しかし、彼らはそこから始めたのである。

 わたし自身、7年の間に数十回、トヨタの工場を見学し、ラインを見つめた。では、何かムダを発見できたかと問われたら、まったくできなかったと答えるほかはない。ひとつくらい見つけられるんじゃないかと思って、現場に立ったけれど、現実は甘くなかった。いつ見ても、現場のライン作業は同じように見えたし、たとえ、ラインが止まったとしても、そこで何が起こったかは、作業者に聞いてみない限り、まったくわからなかった。

「あそこを変えなきゃ」
現在、元町工場長と高岡工場長を兼務する二之夕裕美。かつて生産調査室室長を務めた彼の視線は、今も常に現場に注がれている。左は筆者(写真=おおさきこーへい)

 ある時、生産調査室室長だった二之夕(にのゆ)裕美(現・元町工場長兼高岡工場長)と一緒に元町工場の組み立てラインを見ていたことがある。

 見学コースからラインを眺めていたのだが、二之夕は突然、立ち止まり、 「あそこを変えなきゃ」とつぶやいた。

 えっ、どこですかと訊ねたら、「あの作業者が見えますか?」と言った。

 「ほら、彼です。バンパーを取り付ける前に包装のセロファンを外しているでしょう?」

 確かに、その人はいちいちセロファンをはがしてからバンパーを車体に取り付けていた。

 「張りついたセロファンをひきはがすのは面倒です。一日に何度もやっていると嫌になる。あれはセロファンを外す工程をどこかに作らなきゃいけない。もしくはセロファンではない包装材に変えることも考えなくてはならない」

 二之夕はラインを一瞥しただけで、問題点を発見し、同時に改善案を考え出し、次の瞬間には部下を呼んで、すぐに実現化するよう言い渡していた。

 トヨタ生産システムを定着させる仕事とはつまりこういうことだ。見る目を持ったプロが、人がやりにくそうにしているところを探し、ひとつずつ、その場で解決する。

 「カイゼンの方法と本質」といったマニュアルを作って配ればそれで済むことではない。現場のカイゼンは大野、鈴村が張や池渕に伝授したように人から人へ手渡しで教えていくことだ。その後に体系化を考える。こうして細かな現場の技術は会社全体に蓄積され、系統立てて教育されていく。トヨタ生産方式の伝承とは現場から始まり、解決した事例を全社に伝えていくことだ。