退三の説得

<b>豊田喜一郎(とよだ・きいちろう 1894~1952年)トヨタグループの創始者・豊田佐吉の長男としてトヨタ自動車を創業、第2代社長を務めた。第3代社長・石田退三の説得を受け、社長復帰に向けて再始動して間もなく、病に倒れた</b>(写真提供=トヨタ)
豊田喜一郎(とよだ・きいちろう 1894~1952年)トヨタグループの創始者・豊田佐吉の長男としてトヨタ自動車を創業、第2代社長を務めた。第3代社長・石田退三の説得を受け、社長復帰に向けて再始動して間もなく、病に倒れた(写真提供=トヨタ)

 「御曹司。話があります。私はもう還暦を過ぎた身(当時64歳)です。トヨタの再建はできましたが、実際にはトラックだけの会社です。

 次はいよいよ乗用車を開発せねばなりません。あなたに戻ってもらわんと、私は隠居もできん。ひとつよろしくお願いします」

 石田はそう言って、頭を下げた。

 不意の来訪に驚いた喜一郎だったが、トヨタで乗用車をやることは喜一郎にとっても念願であった。

 しかし、設計が終わったばかりのヘリコプターを試作して、試験飛行をしたい気持ちが強くなっていた。根っからのエンジニアだけに、事業よりも、技術開発を優先したくなっていた。

 「退三さん、おっしゃることはわかる。しかし、私にもやりたいことがあって、少し考えさせてくれないかな…」

 石田は声を荒らげた。

<b>トヨタ自動車第3代社長として経営危機を乗り越えた石田退三は、創業者、豊田喜一郎の復帰を願い、説得した。他方、喜一郎のいとこで、後に第5代社長を務める豊田英二にアメリカ留学をすすめるなど、次代も見据えながらトヨタを支えた</b>(写真提供=トヨタ)
トヨタ自動車第3代社長として経営危機を乗り越えた石田退三は、創業者、豊田喜一郎の復帰を願い、説得した。他方、喜一郎のいとこで、後に第5代社長を務める豊田英二にアメリカ留学をすすめるなど、次代も見据えながらトヨタを支えた(写真提供=トヨタ)

 「何を言うんですか。いいですか、御曹司。あなたがいなければ乗用車の開発は進まないんです。アメリカがやってきたら、いったい、どうするんですか? ビッグ3が来たらどうするんですか?

 私はまたアメリカとの戦争に負けるのは嫌だ。あんな目には遭いたくない。だいたい、あなたでしょう。3年以内に生産性を上げなければ日本の自動車会社はなくなる。そう言ったでしょう?」

 問い詰められると、喜一郎も返事ができない。

 退三は続けた。

 「御曹司。あなたしかいません。織機や自動車の業界では、あなたのことはみんなが知っています。豊田喜一郎、ああ、あの男かと言われている。そこまでの男なんだから、一度、社長をやめたくらい、どうってことはない。あなたじゃなければできないんだ」

 喜一郎は腕を組んだ。

 様子を見て、退三は説得にかかる。

 「御曹司。まだあるんですわ。昔、私が自動車の開発に反対していた頃の話です。

 『退三さん、あなた、ずいぶんと自動車の開発には反対している。だが、うちは自動車をやらなくては伸びていかない。いつまでも織機の会社ではやっていけないんだ。どうだい、自動車の免許を取ってみたら。そうしたら、私があなたに車を一台プレゼントしたい。むろん私が作った車だ』

 御曹司。私はまだその車をもらってませんわ。だから、早く作ってくださいな」

 さすがに、ここまで説得されたら、喜一郎もうんと言うしかない。もともと自動車が嫌いなわけではない。ヘリコプターは乗用車の開発と一緒に進めればいい。

 「わかった。退三さん、私の身はあなたにまかせる。一緒にやりましょう」

 喜一郎は復帰を決めた。

 石田は社長を退き、自動織機に戻るつもりだった。安心した退三はすぐに名古屋へ帰っていった。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1678文字 / 全文文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題