(イラスト=五島 聡)

 1950年、人員整理に反対する労働争議が激しさを増す中、豊田喜一郎は組合員に攻撃されている幹部のことを気にかけていたが、やる気は十分で、社長をやめることなど、当初、まったく考えていなかった。

空飛ぶ自動車

 その証拠に、彼は自宅にある人物を招いている。

飛行機設計から自動車の世界に転じた長谷川龍雄は、後にカローラの開発者として名を馳せる。エンジニアとして、闘争委員長として接した喜一郎のことを「何でも本気の人だった」と振り返る(写真提供=トヨタ)

 長谷川龍雄。後にカローラの開発者として知られるエンジニアで、元々は立川飛行機(プリンス自動車の前身)で飛行機設計をしていた。

 当時、長谷川は職場の闘争委員長である。社長から呼ばれたからといって、のこのこ自宅に出かけていくわけにはいかない立場だ。それでも長谷川は、喜一郎はエンジニアとして先輩だと思っていたから、訪ねることにした。

 喜一郎が言った。

 「長谷川くん、月産500台の乗用車工場を作りたい。キミが計画を立ててくれ」

 長谷川はびっくりした。飛行機、自動車の設計はできるけれど、工場設計の知識はない。

 「どうだい?」

 もう一度、聞かれたので、長谷川は答えた。

 「社長、すみません。私は生産技術の専門家ではありません。それに、いまは争議の真っ最中ですので、まことに相済みませんが、これ以上、お話しするのもよくないと思います」

 「そうか」

 長谷川は後に、その時の喜一郎の気持ちを想像してみた。そして、出した結論は「社長は本気だった」ということだった。

 「実は、それ以前にも突然、呼ばれたことがありました。私が入社した(1946年)直後、発明コンクールで賞を独占したことがありました。喜一郎さんに呼ばれて部屋に行ったら、こう言われました。

 『長谷川くん、キミは飛行機屋だったね。今度、空飛ぶ自動車を開発しようじゃないか』

 社長は何でも本気の人でした」

 喜一郎は目の前で起こっている争議よりも新しい乗用車と工場建設を考えていた。彼の関心はつねに、そこにあった。