(イラスト=五島 聡)

 1949年から翌年にかけて労働運動は盛んになったが、それはろうそくの火が消える前の一瞬の輝きだったともいえる。

 49年10月に中華人民共和国が成立、国共内戦が終わり、毛沢東が率いる中国共産党が勝利した。敗者の蒋介石は台湾に逃げ、中華民国を作る。ソ連の台頭と中国が共産化したことを受け止めたアメリカは日本を共産圏に対する防波堤にすることを決め、戦後復興を促進することにした。それほど中華人民共和国の建国はアメリカに大きな影響を与えたのだった。

 アメリカ国内では反共運動が始まった。上院議員、ジョセフ・マッカーシーは共産党員や協力者、シンパを公職や民間企業から追放する赤狩りをぶち上げる。この時、映画俳優のチャーリー・チャップリンも調べを受け、後にアメリカを離れた。反共を訴えるマッカーシズムが吹き荒れ、共産党やリベラル派の追放運動は激化する一方だった。

 アメリカに占領されていた日本にも反共運動の影響が及んできた。

 1950年6月、GHQ(連合国軍総司令部)は日本共産党の中央委員24名を全員、公職から追放し、機関紙「アカハタ」を発行停止にした。レッドパージが始まり、言論機関、民間企業の職場から共産党員が次々と追放されていったのである。

トヨタ自工本社事務所前で開かれた労働組合の職場集会(写真提供=トヨタ)

 誰もが知っているけれど、基本的人権の尊重をうたった日本国憲法が施行されたのは1947年。レッドパージより以前である。しかし、共産党員は仕事をやめさせられた。憲法は不磨の大典というけれど、実際にはGHQという権力が憲法よりもはるかに上位にいたのだった。

 レッドパージにより、戦後、盛り上がった労働運動は次第に勢いを失っていった。そして戦後労働運動のピークは50年の5月までだった。

 だが、トヨタにとって都合の悪いことに、同社で労働運動が激化したのはちょうどピークの時期だったのである。