立って働く

 組み立て工場とはさまざまな部品を集めて自動車の形に仕上げるところだ。作業者はベルトコンベアに沿って配置される。ワイヤハーネスを取り付けたり、ハンドル、シート、ドアを付けたりする。レンチを使い、ボルト、ナットで部品を取り付ける。むろん、立って働く工場だ。

 一方、機械工場は金属を切削したり、曲げたりして部品を作る。細かい仕事が多かったために、ラインの横に椅子を置いて、座って作業をしている箇所もあった。機械工場の担当になった大野はまず全員を立たせて仕事をさせたのである。

 「いいか、座って作業をしたら、腰をひねる動作が加わる。毎日、そんなことをしていたら絶対に腰や肩が痛くなる。仕事は立ち上がってやるものだ。百姓だって、八百屋や魚屋だって、みんな、立って働く。立って働く方が身体にいい」

 だが、それまで座って働いていた人間には、立つことに抵抗があった。

 「立たせるのは労働強化だ」

 「オレたちはいままで座りながらでもちゃんとやっていた。なぜ、立ち働きをしなければならないのか」

 談判にやってくる組合員もいた。そういう人間にはじゅんじゅんとさとすしかない。

 「戦争中、私は紡織にいた。そこでは女工さんたちが毎日、立って働いて、ひとりで20台もの織機を担当していた。それなのに、大の男が立って働くことが嫌なのか? いいか、繰り返すけれど、座って働くと必ず肩や腰をダメにする。立って働く方が自然なんだ」

 この点に関して、大野は一歩も引かなかった。作業効率よりも、むしろ作業者の身体のことを考えたカイゼンだった。大野が生涯、手がけたカイゼンは数々ある。いずれも、抵抗が多いものだった。なかでも、直接的に反発を受けたのが立って働かせること。しかし、大野は何度も何度も同じ主張をして、これを定着させた。

 その時、彼はつくづくわかった。

 「人間は自分がいまやっていることがいちばんいいと思い込んでいる。オレがやることは、やつらに『いまやっていることを疑え』ということだろう。それは簡単ではない。そんなことができる人間はなかなかいない。考える人間を作る…。それがオレの仕事だ」

 作業者を立たせた後、大野は少しずつ、新しい仕組みを導入した。いずれも戦後すぐから数年間にわたってである。その間、トヨタには労働争議から倒産寸前になるほどの経営危機もあった。だが、ストライキの最中でも、「考えて仕事をしよう」と言って歩いた。時には工場がロックアウトされ、追い出されたこともあった。それでも彼は構内で赤旗の前にいた作業者をつかまえては「会社がつぶれては何にもならんぞ」と話したのである。

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