募る違和感

 後に「販売の神様」と呼ばれる神谷は1898年に愛知県知多郡に生まれた。トヨタを創業した豊田喜一郎よりも4歳下、トヨタ生産方式を体系化した大野耐一よりも14歳年長である。

 神谷は名古屋市立商業学校を出た後、19歳で三井物産に入社。半年後にアメリカのシアトル勤務になり、翌年にはロンドン支店へ。商業学校時代から夜学に通い、英語が流暢になっていたため抜擢されたのである。ロンドン支店では、鉄鋼など金属の貿易を担当。27歳の時に三井物産を退社し、自ら神谷商事を設立して金属専門商社として出発する。一時は大いに儲けてサラブレッドの馬主となり、ロンドンにあるエプソム、クロイドンといった競馬場のVIP席で観戦するほどだった。

<b>神谷正太郎は、戦後いち早くトヨタの販売網を作り上げ、今もなお「販売の神様」と呼ばれている</b>(写真提供=トヨタ)
神谷正太郎は、戦後いち早くトヨタの販売網を作り上げ、今もなお「販売の神様」と呼ばれている(写真提供=トヨタ)

 しかし、第一次大戦後の不況は長く続き、2年後には業績が悪化、会社を整理しなくてはならなくなった。

 傷心のまま帰国したが、生活費にも事欠いていたので、すぐに就職しなければならない。そこで見つけたのが日本ゼネラル・モータース(GM)だった。三井物産でも神谷商事でも扱っていたのは鉄鋼。鉄鋼商社の得意先である自動車業界には知己が多かったので、そのつてをたどって神谷は日本GMに入社した。

 当時、日本で走っていた車の9割以上はフォード(1925年進出)か日本GM(1927年進出)である。神谷は一応、両方の会社を受け、どちらからも採用通知をもらっていたが、入社時期が早かった日本GMに入ることにした。彼はそこで自動車販売の実務を体験する。

 自動車は高額商品であるうえに、車検や修理の必要がある。メーカーが直接、消費者に売ってしまえばそれでいいというものではない。消費者とつねにコンタクトしている必要があり、先進国のアメリカではディーラー制度が定着していた。つまり、ディーラーという販売特約店がメーカーから車を仕入れて販売する方式だったのである。

 日本GMはアメリカで成功した販売方法をそのまま持ち込み、各地にディーラーを作った。アメリカ人上司は各ディーラーに販売ノルマを課し、達成できなければすぐに契約を解除するというドライな方法を取った。だが、神谷はそんな仕事の背後に、日本人に対する蔑視を感じていたのである。

 「当時、日本人社員に対する米人社員の態度は単なる経済合理主義を超える冷徹さがあり、明らかな差別意識が感じられた。

 特に、販売店に対する政策は情け容赦のないもので、経営難にあえぐ販売店を冷たく突き放すようなケースは日常茶飯事であった。契約社会といわれるアメリカの商慣習からすれば、あるいはそれが当たり前のことであったかもしれない。

 しかし、郷に入れば郷に従えというではないか。私は販売代表員として販売店(ディーラー)を訪問し、販売の指導を行っていたから、そうした事例を目の当たりにして、もっと親身になって販売店の経営を指導するよう、米人スタッフに抗議した。しかし、私の意見が必ず通るわけではない。米人スタッフと一緒に仕事をすることに、次第に限界を感じるようになっていったのである」

 外資系会社ではいまもこうしたビジネスは見られるのではないか。アメリカからやってきた人間にしてみれば数字がすべてである。長く住むわけではないから、日本の販売店と末長くつきあおうという気はない。督励することが仕事である。

 しかし、日本人の神谷はそうはいかない。アメリカ人上司の手先となって、販売店をいじめることは彼の性に合わなかった。彼自身は販売店政策に「日本的情緒と人間的な絆」を持ち込みたかったのである。

 神谷は入社2年で販売広告部長に昇進し、すぐに副支配人になった。しかし、アメリカ人上司の態度を見るにつけ、「長くいる会社ではない」と思うようになった。

 入社8年目のこと、神谷にスカウトの口がかかった。

 「販売担当の役員ではどうだろうか?」と言ってきたのは日産自動車である。日本GMを退社しようと思っていた神谷にとっては悪くない選択肢だ。

 どういった社風の会社なのかを知ろうと思い、神谷は都内のホテルで開かれた日産の販売店を集めた大会及び懇親会に出席してみることにした。大会が終わり、懇親パーティになった。

 司会者が言った。

 「みなさん、一列にお並びください」

 そこへ日産の社長の鮎川義介が現れた。販売店の社長たちはひとりずつ進み出て、あいさつをする。大名行列にかしずくような封建的な風景だった。

 神谷はとてもこんな会社では働けないと思い、そこで、次に考えたのがトヨタだったのである。

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