話は豊田喜一郎が自動車製造に乗り出した1933年のことになる。

 その年、日産コンツェルンの創始者、鮎川義介(あゆかわよしすけ)が自動車製造株式会社(現 日産自動車)を設立した。日産コンツェルンは日立製作所、日本鉱業、日本化学、日本油脂、日本水産、日産火災海上など百社以上からなる企業グループで、戦前の一時期は住友財閥を抜き、三井、三菱に迫る大財閥だった。

(イラスト=五島 聡)
(イラスト=五島 聡)

鮎川義介と商工省

 鮎川は喜一郎と同じようにメイド・イン・ジャパンの自動車開発をめざしたが、手法は異なる。喜一郎は最終的にはすべての部品を独自のものにしようとしていたが、鮎川は日本GMとの提携、協力を考えていたからだ。