自動車事業に乗り出した豊田喜一郎が、ひと月になんとか50台の車を作っていたのは豊田自動織機刈谷工場の一角にあった試作工場である。そこに自動で動くべルトコンベアはなかった。工場に線路のようなラインがひいてあり、その上にシャシーを載せ人が押して移動させていた。