意識のカイゼン

 わたし自身、トヨタ生産方式は全能の神様だとは思っていない。あとで書くけれど、その方式をさまざまな職場に適用するには、越えなくてはならないハードルがあるからだ。けれども、販売の業務改善で行ったことを吟味して、さまざまな仕事に応用することはできる。営業部門だけでなく、開発、企画、広報宣伝、財務、もっといえば公務員やフリーランスでも、仕事を切り分けて、ムダを排除することはできる。

 トヨタ生産方式とは意識改革でもある。「以前からやっている仕事のやり方を考え直す」「自分がやっているムダな作業を他人に指摘してもらう」「経費の精算、机上の整理整頓、事務連絡などの本来の仕事以外を整理整頓、IT化して、クリエイティブな仕事に充てる時間を長くする」「ムダを切り詰めて定時に仕事を終える。家族と過ごす時間を長くする」…。

 こうしたことはトヨタ生産方式を勉強しなくたって、時間の使い方が上手な人ならば自然のうちにやっていることだ。時間の使い方を考えれば仕事の生産性は上がる。

 しかし、トヨタ生産方式は一時的な業務改善を目的とはしていない。「緊張したライン」を構築することによって、常に生産性の向上を求め続ける。

 もし、事務仕事にトヨタ生産方式を援用しようという人がいるならば、最初の結果だけに満足してはいけない。毎日、自分の仕事の仕方をチェックして、昨日よりも今日、今日よりも明日を考え続けることが必要になってくる。平凡な人間にとって、カイゼンをやり続けることは簡単なことではない。

 余談になるが、販売カイゼンをやった頃から友山は販売店の人間に「鬼」と呼ばれるようになった。

 トヨタ生産方式を指導する立場になると、誰もが鬼と呼ばれてしまう。鬼という呼び名は彼らにとっては定番の呼び名なのである。

相手に答えを教えるのではない。
答えが出てくるのを待つ。
それが、僕らの仕事です
オレをびっくりさせてみろ

 ただ、鬼にもステージがある。友山はいまだに、薫陶を受けた林南八(現・顧問)の名前を聞くだけで精神に緊張が走るらしい。「怒られるんじゃないか」。反射的にそう思ってしまうのだろう。

 だが、その林も鬼のなかではやさしい方に属する。林は若い頃、何度も池渕浩介(元・副会長)に怒鳴られた。「瞬間湯沸かし器の池渕さん」に出くわすことがないように社内の廊下を歩いた。それほど厳しい人と感じた。

 しかし、その池渕も「大野(耐一)さんが部屋に入ってくると足がすくむ。膝が震える」と言った。トヨタ生産方式の普及に尽力した大野が部屋に入ってきただけで、顔が真っ青になって卒倒寸前になる同僚がいたという。

 もし、友山が大野に会っていたならば、どういった感想を持っただろう。どれだけ厳しい人だったのだろうかと思ってしまう。しかし、張(富士夫 現・名誉会長)、池渕、林という実際に大野と仕事をした人間たちは大野を「厳しかったけれど教育者であり、人生の師」だと尊敬している。

 世の中に出ると、人は尊敬する人物に出会う。立派な人、指導してくれた人には尊敬の気持ちを持つ。しかし、人生の師とまで呼べる人にはなかなか出会うことはない。

 教わった彼らは異口同音に言う。

 「大野さんはフォローしてくれた。私を見ていてくれた」

 人を教えるとはそういうことではないか。情報を伝えることでもなく、問題の解答を導き出すことでもない。部下に課題を与えながら、自分自身もまた同じ課題を解くことだ。そばにいて、見届けて、同じ苦労をする。部下と同じ立場に身を置くことだ。

 大野は部下の答えをじっと聞く。部下が自分と同じ答えを出したら、烈火のごとく怒った。彼は部下が自分と同じレベルでは満足しない。部下がさらにいい答えを見つけなくては満足しないのである。「オレは教える側だから、オレの言うとおりにやれ」。彼はそんなことはひとことも言わなかった。大野の偉さはそこにあり、張、池渕、林、友山もまたその偉さを受け継いでいる。

 「オレをびっくりさせてみろ」

 大野が部下に言った言葉はそれだ。びっくりさせて、オレを超えろということだけだ。

 大野は、自分が言った通りのことを部下がやると「なぜ言われた通りにやったのか」と問い、違うことをやると「なぜ言われた通りにやらなかったのか」と問うた。つねに考えることを求め、決して褒めることはなかった。

 「褒めるという行為は相手を馬鹿にしている」と大野は言った。自分ができることを、お前にしてはよくやった、と思うから褒めるのだと。では、自分ができないことをやったらどうするのか。「その時は褒めるより、びっくりする」。

 大野の「びっくりさせてみろ」には、そんな考えが込められている。

 あらためて友山は教えてくれた。

 「相手に答えを教えるのではありません。答えが出てくるのを待つ。それが僕らの仕事です」

 トヨタの新しい世紀は1997年のプリウス発表から始まった。ハイブリッドカーのプリウスは初期こそ価格の高さもあって、なかなか普及しなかったが、いまではトヨタの看板車種となり、世界120の国と地域で販売されている。環境を意識した車が自動車会社のフラッグシップになったわけだ。プリウスがベストセラーになっているのは消費者が自動車に求める価値が変わった証拠だろう。