ライン停止15時間

 もし、ひもを引かずにラインを流してしまったら不良品が後の工程に行ってしまう。楠たちは現場に張り付いて「不具合があったら、ひもを引け」と繰り返し教育するのだが、それでもワーカーたちはなかなか実行しない。

 結局、不良品が出たら、数時間あるいは十数時間、ラインを止めて徹底的に原因を追究することを体験させるしかなかった。心配したアメリカ人マネージャーが「早く動かそう」と言ってきても、完全に直すまでは絶対に動かさない。叱責はせず、ラインを止めるとはどういうことかをただ見せる。

 「不良品を出さないためには一日、車を作らなくてもいいんだ。それがトヨタ生産方式なんだ」

 言葉に出さず、覚悟を感じてもらうしかない。そうでなくては自働化の本当の意味は伝わらない。楠たちは腹をくくってラインを止め、徹底的に原因を突き止めることにした。

 ワーカーの意識が変わったのはラインを15時間、止めた後だった。自動車会社の工場で、事故でもないのに、それだけの時間、ラインを止めたことはない。工場のなかで何も作業をせず、黙々と掃除をしたり、整理整頓をする。アメリカ人ワーカーはいたたまれなかった。しかし、ラインは動かない。

 当時、組み立てのマネージャーをしていたデイブ・コックスは「早く動いてほしかった」と思い出す。

 「ラインを止めている間、みんなが自然と考えるようになりました。なぜ、ラインが止まったのか、なんのために止めるのか。ワーカーは『ここは他の工場とは違う』と実感したのです。ただ、あれだけの時間、ラインが止まっていたのは精神的につらかった」

サンキューとDIY

 15時間のラインストップは一度だけだったが、その後も何かあればラインを止めた。次第にワーカーたちもあんどんのひもを引くようになる。

 すると、ワーカーのところには張が飛んで行って、肩を叩きながら「サンキュー」と言って、にっこり笑った。

 結局は繰り返しだった。不良品を出さないためには、その場で原因を究明する。それを何度も何度も繰り返す。生産を軌道に乗せるまで同じことを繰り返しやり、「考えさせる」指導をした。

 あんどんのひもを引くことと並行して行ったのは、すべての従業員に対して社内教育をすること。現場のワーカーだけでなく、事務の人間、補助的な仕事をする人間にも会社の金で研修を行った。作業に入る前の安全講習から始めて、労働時間のなかで教育を実施したのである。

 張のもとには次のような感想が寄せられた。

 「私はメーカーに勤めるのはトヨタが4社目だが、これまでは教育は自分の金で受けるものだった。会社が金を出してくれたのは初めての経験だ」

 現場の人間が「得をした」と感じないと、やってやろうという気にはならない。「やれ」と上から押し付けるだけでは新しい方法は伝わらない。

 時間が経ち、自働化の精神が定着してきたら、今度は自ら考えた「くふう」を持ち込んでくるワーカーが増えた。

 毎日、現場を見て歩く張に直接、アイデアを持ち込むワーカーもいた。

 「ミスター張」

 「なんだい?」

 「私はうちのガレージで、こんな機械を手作りした」

 張が見ると、ねじの扱いが楽になるという機械だった。

 「いままでこんなものは見たことがない。面白いね」

 そう感想を伝えたら、「そうだろう。どうか、これを使わせてくれ」と言ってくる。実際には、使えるものと役に立たないものがあったが、くふうを持ち込んでくる回数は日本人よりもむしろ多かったのである。張にはアメリカはDIY(Do It Yourself)の国だと感心した記憶がある。