(イラスト=五島 聡)

 トヨタ生産方式を協力工場へ広めていくには生産調査室の人間が中核となった。林南八(現・顧問)はそのエキスパートのひとりだけれど、もう少し若い世代で、さまざまな協力工場へ派遣されたのが現在、専務役員となっている友山茂樹だ。

友山茂樹、入社

 友山の入社は1981年、トヨタが工販合併する前の年である。群馬大学の機械工学を出た彼が最初に配属されたのは生産技術だった。組み立てセクションの生産指示システムを作り、それをカローラ専用の高岡工場に導入する仕事だった。入社してすぐにトヨタ生産方式についての研修を受け、自分なりに理解したつもりでいた。

1984年当時の高岡工場の組み立てライン。米国ケンタッキー工場からの研修社員の姿も(写真提供:トヨタ)

 友山が高岡工場に導入したのはベルトコンベアをカスタマイズして、作業者にやりやすいようにすることである。

 一般の工場ではベルトコンベアは1本の長いラインだが、トヨタの工場ではいくつかの長さに切ってあり、モーターの位置も変えてあることが多い。あんどんを使って、ラインをコントロールするためには小刻みに動かしたり、止めたりできなければならない。ベルトコンベアを長いままにしておくと、各作業者の持ち場において、コンベアのスピードを変えることができない。そのためのくふうだった。

 友山が自分なりにくふうしたベルトコンベアを入れて、動かしてみたところ、ラインは混乱し、回らなくなった。

 その時、高岡工場の組み立てラインで管理職をしていたのが林南八だった。当時はカイゼンのエキスパートとして知られるようになっており、林自身が生産調査室の生みの親である大野耐一や一番弟子の鈴村喜久男に鍛えられたように、トヨタの若手カイゼンマンは「南八さんは厳しい人だ」と噂していた。

 その林が友山の仕事を一喝した。

 「バカ者、誰だ。こんなものを導入したのは?」

 友山はまだ林の厳しさを体験していなかった。「はい」と手を挙げて、説明を始めた。

 「林部長、これはですね。トヨタ生産方式にある定位置停止のためのくふうでして…」

 話し出したとたん、さらに大きな声で怒鳴られた。

 「バカ者、何もわかっとらんのに、妙な真似をするな。いいか。定位置とは一か所ではない。作業者の工程によって、コンベアのピッチの長さは違う。そこまで考えて、定位置停止を実現しなきゃいかんのだ。お前はいったい何を考えているのか」

 しかし、友山もまた頑固だった。

 「いえ、部長、これはですね…」

 「もういい。黙って見とれ」

 林は友山をラインから外し、自分が引き継いで、コンベアを手直しした。

 そんなことがあったから、友山は林から見放されたとばかり思っていたのだけれど、どうしたわけか、翌年、生産技術部から生産調査室へ異動が決まったのである。

 そして、しばらくすると、林南八が主査で戻ってきた。鈴村が退職した後のトヨタ生産方式を統括する役職で、その役職に就いた人間はもれなく「鬼」と呼ばれることになっている。

 友山は「あの時は参った」と嘆息。

 「林さんはそれはコワかったけれど、その下にいた人がもっと怖かった。コワくて、名前を言おうとしても口が動いてくれない。そんな人たちに囲まれて生産調査室で仕事をしました」