
大野耐一の著書『トヨタ生産方式』が発売された翌年にあたる1979年、第二次石油危機が起こった。OPEC(石油輸出国機構)加盟国中2番目の産油量を誇るイランで革命が起こったのである。


パフラヴィー朝が倒れ、シーア派の長老、ホメイニ師が指導者となった。イラン革命により原油価格は急上昇した。ヨーロッパ、日本など石油の輸入国の経済はまたも停滞したのである。
二度にわたる石油危機により、自動車会社各社はよりいっそう高品質、低燃費という命題を解決しなくてはならなくなった。
この後、消費者は自動車を買うに際して最高速度、馬力、排気量、ゼロヨン加速といった指標よりも、燃費という項目に目が行くようになる。いい車とはスピード、デザイン、居住性の他に、燃費がいいという要素が欠かせなくなった。
同じ年の7月、東名高速の日本坂トンネルで火災事故が起こった。死者7名、車両の焼失173台という大きな事故で、東名高速は一週間、通行止めとなった。
止まるのではなく、止めるのだ
この時、初めてサプライチェーン(供給網)の途絶による生産停止が話題となる。
関東の協力会社65社からの部品がトヨタの組み立て工場に届く時間が遅れたために2日間、操業停止となった。
その最中、ある役員が「大野が言った通りにしたから生産が止まった」と不服を述べたらしい。
それに対して、大野は「止まったのではありません。私たちの判断でラインを止めたのです」と答えた。
部品が届かないこともあるが、それよりもすべての車種に対して万全の体制で生産ができるかどうかを確認するために、自らの判断でラインを止めたのである。
その後の協力工場の事故、阪神・淡路大震災、東日本大震災などの災害でも生産停止は起こっている。しかし、いずれもラインは「止まった」のではない。止めたのである。
代替部品はどこの協力工場が作ることができるのか、また、物流のルートを変更するならばどこの高速を使うのかなどを判断するには時間がかかる。しゃにむにラインを動かすよりも、不良品が出るおそれがあれば、まずラインを止める。それは作業者がアンドンのひもを引いてラインを止めることと同じだ。
外からの目が見るべきところは災害、事故が起こった時、トヨタがラインを止めたか止めないかだ。大きな災害にあたって、トヨタがそのまま操業していたら、経営者の判断を疑うべきなのだ。
日本坂トンネル事故の時、同じ考えから大野はラインを止めた。「生産停止」とマスコミが騒いで書き立てても、彼は苦笑しただけだった。

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