自動車会社はそれまで排出ガスの規制には積極的とは言えなかった。だが、市民の声がマスキー議員を動かし、規制法を成立させたのである。

 アメリカの1960年代は経済の拡大が続く時代だった。黄金の10年と呼ばれた1950年代ほどではなかったにせよ、繁栄は途切れていない。

<b>『ホール・アース・カタログ』 </b>(1968年秋号=デジタル復刻版の表紙)
『ホール・アース・カタログ』 (1968年秋号=デジタル復刻版の表紙)
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 しかし、一方で、ベトナム戦争の泥沼化は市民の気持ちを変えた。富裕層、中間層は多大な国費の投入、アメリカ国民の戦死、戦傷の増加に対して怒りの声を上げた。また、同じアメリカ国民でも、大学生とリベラル層はベトナム戦争への反対とベトナム国民への連帯を表明した。

 当時の大学生、リベラル層は排出ガス規制を含む環境問題にも注目する人々で、この人たちがマスキー法を推進する中核だった。彼らは自然エネルギーを評価し、自然回帰とサブカルチャーをテーマにした『ホール・アース・カタログ』(1968年)を支持した。

 同カタログは150万部のベストセラーにもなり、アップルの創業者、スティーブ・ジョブズは熱心な読者だった。彼の座右の銘、「Stay Hungry. Stay Foolish.」は、この雑誌の裏表紙に載っていた言葉だ。

走り高跳び

 アメリカで始まった試みはすぐに日本にも波及してくる。排出ガスの規制も同様で、1971年には環境庁が発足し、翌72年には日本における排出ガス規制基準が決まった。

 豊田英二(第5代社長)は排出ガス規制をクリアする努力を次のように思い出している。

<b>東富士研究所・排ガス試験棟。トヨタは排出ガス規制に対応し、武器に変えていった</b>(写真提供=トヨタ)
東富士研究所・排ガス試験棟。トヨタは排出ガス規制に対応し、武器に変えていった(写真提供=トヨタ)

 「排出ガス規制値は少しずつ厳しくなっていく仕組みになっていた。走り高跳びと一緒で、初めはバーが低いが徐々に上がっていく。最大の難問とされた乗用車のNOx排出量は最初は走行1キロメートル当たり2.18グラムから始まり、最終目標値は0.25グラムとなっている。スタート時の数値をクリアするのは比較的簡単だが、メーカーの立場からすれば初めから0.25グラムの高いバーを想定しなければならない。(しかも)排出ガス規制を達成しても、肝心の性能が落ちては何もならない。(略)

 自動車という以上、少なくとも従来の性能を維持しながら、しかも規制数値を達成しなければ意味がない。(略)

 しかし環境庁に自動車業界が押し切られ、規制が先行したものだから、スタート時の排出ガス対策車は性能が悪く、スピードも出ず、ガソリンをガブ飲みするだけの車ができてしまった」

 ここにあるように、HC、CO、NOxのなかではNOxを除去あるいは低減することがもっとも難しかった。

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