(イラスト=五島 聡)

 1968年、日本のGNP(国民総生産=当時の経済指標)はアメリカに次いで世界第2位となった。自動車の生産台数もアメリカに次いで2位である。

 敗戦国と自覚していた日本は勝利した側のソ連、イギリス、フランスよりも経済力が大きくなった。そうなると、これまで政府から庇護されていた自動車業界も外国との競争を迫られるようになる。自動車生産世界第2位の国が海外の車に高関税をかけたり、非関税障壁を設けることは許されないからだ。

同じ土俵で

 これに先立つ1962年には外国車の輸入枠が拡大され、65年には完成自動車の輸入が全面的に自由化されている。

 70年には進出する外資が合弁会社を新設する場合、比率を50パーセントまで認めることになった。そして、73年には50パーセント規制もなくなり、資本の完全自由化が決まった。76年には外国製乗用車の関税が10パーセントから6.4パーセントに引き下げられ、ついに78年、乗用車の関税はゼロになった。

 GMやフォード、フォルクスワーゲン、メルセデスといった海外メーカーの車とトヨタ車は同じ土俵で戦うことになったのである。かつて創業者の豊田喜一郎や第3代社長の石田退三がもっとも恐れていた「ビッグ3が日本にやってくる」日が現実になった。

 日本の自動車産業界は資本自由化をにらんで動き出した。ひとつはトヨタが推し進めたような工場の増設による生産力の増強だ。この時、トヨタは「乾いたタオルを絞って」貯めた金を使って、工場を増やしている。一方、日産、いすゞなどは欧米の金融機関から借り入れをして設備投資をすすめた。

1966年、トヨタと日野自動車は業務提携の記者発表を行った(写真提供=トヨタ)

 続いての策は合併、提携で競争力を高めることだった。66年には日産とプリンス自動車が合併した。スカイラインは日産の車として認識されているけれど、もともとはブリヂストン傘下のプリンス自動車が生み出した傑作車である。トヨタは同年に日野自動車、翌年にダイハツ工業と業務提携を結んだ。

 トヨタ、日産の2強に対抗して、いすゞ、富士重工、三菱自動車の3社は提携話をすすめたが、こちらは破談となった。しかし、いすゞ、三菱といった中堅自動車メーカーは一社単独では先行きが見込めず、外国資本との提携を決める。いすゞはGM、三菱自動車はクライスラーと、いずれも71年に提携。そしてマツダはフォードと79年に提携した。