豊田喜一郎と大野耐一(たいいち)。「トヨタ生産方式」を作ったふたりの男の足跡をノンフィクション作家・野地秩嘉が追う。トヨタの強さの源泉に迫る旅は、米国ケンタッキーから始まる。
シリーズ
トヨタ生産方式を作ったふたりの男

完結
54回
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トヨタ生産方式の未来
トヨタに限らず、先進国の自動車会社が焦燥感を感じている問題がある。考えようによってはリーマン・ショックよりもはるかに大きな問題だ。リーマン・ショックは一時的な消費不振だったけれど、こちらはじりじりと続くテーマとなっている…
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営業のカイゼン
販売の現場をカイゼンする。トヨタ生産方式の導入に取り組んだ名古屋トヨペットでは、トヨタからやってきた友山茂樹(現・専務役員)の指導を受けながら納車前点検や車検などをカイゼンしていった。そして次に取り組んだのが営業現場での…
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緑のカローラⅡ
名古屋トヨペットは全国に280あるトヨタ系ディーラー(販売店)のひとつで、トヨペット店52社のなかで、2番目に販売台数が多い。トップの東京トヨペットはトヨタの100パーセント子会社だから、独立した企業ではナンバーワンだ。
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トラックに乗り込んだ男
1991年、トヨタの北米進出が軌道に乗り始めた頃、朝日新聞に「効率経営の弊害」と題した記事が載った。
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日本一の会社
カリフォルニア州フリーモントに設立したトヨタとGMの合弁会社、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)、トヨタ単独で設立したトヨタ・モーター・マニュファクチャリング・USA(TMM、現・TMM…
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ケンタッキー1987
1986年1月、トヨタはケンタッキー州ジョージタウンにアメリカ現地法人トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・USA(TMM、現・TMMK)を発足させた。アメリカに初の単独工場を建設するためだ。そして翌1987年、ケン…
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ケンタッキー1986
トヨタとGMの合弁会社、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)の開所式がカリフォルニア州フリーモントで開かれてから2か月後の1985年6月、蓼科のゲストハウスではトヨタの全役員が集まる研修会…
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NUMMIに入魂
生産調査部ができて、社内の生産現場、協力工場へトヨタ生産方式が浸透していく。アメリカへの進出が決まった頃はすでに生産現場だけではなく、社内のさまざまな部門でも同方式の考え方を生かしたムダの追放が行われるようになった。事務…
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喜一郎の夢
戦後、始まったトヨタ生産方式の体系化、および社内の各工場、協力工場における実践は1980年までには目途がついた。だが、カイゼンに終わりはない。新しい車種が開発されるたびに、全工場で同方式のブラッシュアップを進めることは…
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着手する勇気
友山茂樹(現・専務役員)が生産調査室にいた時代、もっとも忘れられないのが、小規模な協力企業にカイゼンに行った時のことだ。
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鬼の一喝
トヨタ生産方式を協力工場へ広めていくには生産調査室の人間が中核となった。林南八(現・顧問)はそのエキスパートのひとりだけれど、もう少し若い世代で、さまざまな協力工場へ派遣されたのが現在、専務役員となっている友山茂樹だ。
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腕時計
林南八(現・顧問)や生産調査室の人間の仕事とは、配属されて翌日から林自身がやったことだ。
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日本坂トンネル事故
大野耐一の著書『トヨタ生産方式』が発売された翌年にあたる1979年、第二次石油危機が起こった。OPEC(石油輸出国機構)加盟国中2番目の産油量を誇るイランで革命が起こったのである。
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国会審議とバッシング
「トヨタ生産方式は石油危機で注目された」。同社の資料も含め、そう書いてあるものは多い。しかし実際には、1973年の石油危機の直後に同方式に注目したのは自動車業界と経済マスコミに過ぎなかった。
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荒海を泳ぐ
1973年、第四次中東戦争勃発によって起きた石油危機で自動車会社が苦労したのは、売れなくなった車、仕入れてしまった部品の在庫をどう処理するかだった。また、増産に次ぐ増産で雇ってしまった人員を減産に際して、どう配置するかと…
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マスキー法と石油ショック
1966年、トヨタはアメリカ市場にアタックをかけるためにRT43-L型と名づけたコロナを送り出した。ソニー創業者の盛田昭夫が「アメリカはオートマチック車でなければだめですよ」とアドバイスしてから10年目、技術陣はその通り…
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生産調査室、発足
1968年、日本のGNP(国民総生産=当時の経済指標)はアメリカに次いで世界第2位となった。自動車の生産台数もアメリカに次いで2位である。
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食堂と寮
自動車が売れたので、工場を増設し、働く人を集める。毎年の新入社員が入ってくるのを待てなかったから、1960年代から70年代の自動車各社は臨時工、期間工を集めた。トヨタもまた例外ではない。
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からくりの精神
「最後まで抵抗があったのがプレスと鍛造だった」トヨタ生産方式の導入に取り組んだ大野耐一自身がそう漏らしているように、プレス、鍛造現場では物流のムダを減らしても、部品を仕上げる時間を縮めることはできなかった。
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怖い刑事と優しい刑事
1966年、大野耐一は常務だった。やっていたことは相変わらずトヨタ生産方式を推進し、社内に定着させることだ。
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