前回までのあらすじ

 藤田俊雄率いるスーパーマーケット、フジタヨーシュウ堂は1972年、株式上場を果たす。だが国内では大型スーパー進出に反対する中小の店の声が強まり、共存共栄の道を探ることが課題になっていた。フジタヨーシュウ堂は新しい業態開発に取り組み始める。俊雄の命を受けた大木将史は、部下の水沢秀治とともに米国のレストランチェーン、チャーリーズとの提携交渉のため米国に来ていた。

 アメリカで発達したチェーンビジネスが日本の風土に適合するか──。

 将史が持つ、この疑問は俊雄にも共通していたのだが、俊雄には、貞夫や母とみゑから受け継いできた商人としての現場の知恵がある。それは骨身に沁みついている。それを一つ一つ社員たちに教えて行けば、アメリカ式のチェーンビジネスのノウハウに日本の商人の知恵を反映できると信じていた。

 そのため俊雄は、店を訪問し、社員に声をかけるのを厭わなかった。尊敬するアメリカのスーパーマーケット、パブリックスの創業者であるジョージ・ジェンキンスが、晩年まで店で客の購入した商品の袋詰めをしていたように……。

 一方、将史は、商人の経験も無ければ、知恵も身に付けていない。そういう環境にいなかったからだ。

 人事関連の部署の責任を持たされている時、将史は、俊雄の仕事振りを見ながら、もっと科学的、普遍的に商人の知恵を社員が学べるようにしなければならないと思うようになっていた。

 売れ筋を店頭に並べること一つを例に挙げても、問屋が売れ筋と言う商品を並べるのではない。それぞれの店で売れ筋は違う。大量に物を仕入れて、大量に店頭に並べるだけではいけないのだ。

 日本は、アメリカのように所得階層が明確に分かれ、利用するスーパーもその階層ごとに違う社会ではない。

 一つのスーパーに低所得層も高所得層も買い物に訪れる。アメリカとは比較にならないほど細分化した客のニーズに応えなければならない。それが今のスーパーにできているのか。これは将史がいつも考えていることだ。

 どうしたらいいか。その答えはなかなか見つからない。将史の苛立ちは 「アメリカの物まねをするな」という言葉に表れていた。必死で物を考えていると、克服したはずのあがり症が出現して、言葉が激しくなる。頭の中には溢れんばかりの考えがあるのだが、上手く表現できないのだ。どうしたら他社と完全に差別化したスーパーにすることが出来るのか。

 「そんなに物まねしていますか?」

 「している。今回のレストランもそうだ。他のスーパーがレストランに手を付けるから、うちもやるという発想じゃないの。その上、やっぱりアメリカで適当な提携先を探してくることになる。これでいいのかと考えてさ。社長にある提案をしたんだ」