前回までのあらすじ

 藤田俊雄が率いるスーパーマーケットチェーン、フジタヨーシュウ堂は関東地方に集中出店し、大きな成長を遂げた。事業拡大に貢献したのが、出版取次会社から転職してきた大木将史だった。

 フジタヨーシュウ堂のライバル、スーパーサカエやセイヨーも店舗網を広げていたが、中小規模の商店からは、大型店の進出に反対し、規制を求める声も高まっていた。

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 1972年(昭和47年)9 月1 日、フジタヨーシュウ堂は東京証券取引所市場第2 部に上場した。

 この年は、日本とってターニングポイントとして記憶すべき年である。

 1月、佐藤栄作首相がアメリカ大統領リチャード・ニクソンと会談し、沖縄返還を5月15日とする、と共同発表をした。

 第2次世界大戦の激戦の地として多くの住民たちが犠牲になった沖縄の復帰は、沖縄の全ての人たちの希望であったかと言えば、そうでもない複雑さがあった。

 戦争で本土防衛の楯として犠牲になったことへの屈折した感情、ベトナム戦争が苛烈さを極め、米軍基地の重要性が増して行く不安、本土との経済格差への苛立ちなどから「沖縄人の沖縄」というスローガンで反復帰活動も盛んだったのである。

 しかし沖縄の本土復帰によって戦争の一つの大きな清算が実現したことは事実だった。

 同じく1月にグアム島で元日本兵横井庄一氏が保護され、翌月帰国した。横井氏は1941年に召集され、31年ぶりの帰国だった。

 「恥ずかしながら帰って参りました」

 帰国後、皇居参観時に、皇居に向かって深々と頭を下げた。

 横井氏が最後の日本兵と思われていたが、同年にフィリピンのルバング島で日本兵が発見され、現地の警察と交戦状態になった。残念なことに小塚金七元一等兵は銃撃戦で死亡。悲しみの帰国となった。共に行動していた小野田寛郎元少尉が無事に保護され、帰国したのは、それから2年後の1974年だった。

 すっかり戦争を遠い記憶のように感じていた日本人に、彼ら元日本兵の存在は、強い衝撃を与えた。いかに戦争というものが無慈悲なものであるかを今一度思い知らせたのである。

 1972年2月には札幌で第11回冬季オリンピックが開催され、70メートル級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二の金銀銅メダル独占に国民は熱狂した。

 オリンピックの興奮がまだ冷めやらぬ中、人々を震え上がらせたのは連合赤軍によるあさま山荘事件、その後に発覚した山岳ベースリンチ殺人事件である。革命を目指す新左翼の集団が閉塞環境の中で、人間性を失い仲間を次々と殺害した様子が明らかになり、人々は大きな衝撃を受けた。

 また、世界を驚かせたのはアメリカ大統領ニクソンによる2つのニクソンショックである。

 ニクソンは2月に中国を訪問し、米中対立の時代から和解の時代への転換を図った。

 ニクソンは前年1971年にこの方針を発表し、世界に衝撃を与えたが、実際に中国を訪問し、周恩来首相と乾杯する姿が世界に放映されると、日本の政界にも激震が走った。それまで政権の中心にいた岸信介、佐藤栄作、福田赳夫という親台湾派の基盤を揺るがすことになったのである。

 アメリカの対中政策は7年8カ月という長期政権を率いた佐藤首相を退陣に追い込んだ。その後継者とみなされていた福田を破った田中角栄が7月に首相に就任した。

 学歴の無い田中は、今太閤ともてはやされ、空前の角栄ブームをもたらす。その勢いのまま、一気に中国との国交回復に踏み込み、9月には日中共同声明を発表し、日中の戦争状態に終止符を打つ。このスピード感は国民を熱狂させた。