日本の流通業界に名をはせる経営者となる藤田俊雄は、母とみゑが小さな食料品店を切り盛りする姿を見て育った。昭和19年、鉱山会社に勤めていた俊雄は徴兵され、目の前で仲間や罪のない人が命を失っていくという体験を重ねる。敗戦後、生き残った人間としていかに生きるべきかを考えた俊雄は、独立独歩で生きる商人になろうと決意。異父兄貞夫が営む「洋秀堂」で働き始めた。
「母さんが声をかけてくれた、あの時はなんだか嬉しかったな」
相馬愛蔵の『一商人として』に触発され、秋田の財閥系鉱山会社を退職し、商人になる決心をした。そして矢も楯もたまらず東京行きの列車に飛び乗った。体は芯から疲れ切っていたが、とみゑの言葉で、旅の疲れが一気に吹っ飛んだ気がしたことをよく覚えている。
思わず笑みがこぼれた、その時だ。急にペダルを踏んでいた足の力が抜けた。
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