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 色白でふっくらとし、切れ長の目の上品な顔立ちの若者だ。

 俊雄と同じくらいの年齢か、もしくは少し若いくらいではないだろうか。

 ふと、誰かに似ていると思った。

 「あっ」

 俊雄は声に出した。訓練中に敵機に撃たれて亡くなった東大の哲学科出身の男だ。

 「すみません。驚かせましたね」

 「いえ、何も。学生服が珍しくて」

 「ああ、これですか?」若者は自分の服装を見て言った。「東京帝国大学に通っているんですよ」

 やはり東大生だった。亡くなった兵と同じ雰囲気を醸し出していたために、似ていると錯覚したのだ。

 「東大ですか。なぜ闇市に?」

 「父の命令できたのです。闇市を視察して来いと言われたものですから」

 若者はなんのてらいもなく言う。

 「お父様の命令ですか?」

 俊雄にとっては意表をつく答えだったので若者に興味を持った。

 「はい、父は政治家です。それで国民の生活状態に関心があるのでしょう」

 若者は笑みを浮かべた。

 「早くお金を渡しとくれよ。2人合わせて、10円。喧嘩しないように4個やるよ。ほら」

 老女の店主は、俊雄と若者に柿を2個ずつ手渡した。

 「ありがとう」

 俊雄は礼を言い、柿を受け取った。

 若者は、1個の柿を上着の袖で拭うと、いきなり齧りついた。果汁が飛び、若者の口元を濡らした。

 「甘いですね。季節を感じます」若者は楽しそうに「あなたはこんな雑踏の中で季節を感じたいとおっしゃっていましたね。その言葉が耳に入った時、変わったことを言う面白い方だなぁと思いました。人が餓死したり、食べ物を奪い合って殺し合いをしたりする時に、季節……。お陰でとてもほっとした気持ちになりました」。

 「はあ、そうですかね。いつでも季節は廻りますから」

 俊雄は、若者の溌溂とした言い方に圧され気味に答えた。

 「日本はどうなると思いますか」

 若者は、また柿を齧った。

 「私にはわかりません」

 俊雄は答えた。

 「こんな闇市はすぐに無くなります。日本人は必ず慎み深き文化を取り戻します。それを私は手助けします」

 若者は、いささか思い上がった風に言った。

 俊雄は、若者の言うことに納得が行かなかった。餓鬼道に落ちたような人々が、文化など求める時代が早晩やって来るとは思えない。

 「日本は、戦争に負けましたが、魂までアメリカに蹂躙されたわけではありません。闇市を視察に来てよかったと思います。この人たちの欲望、エネルギーを正しい方向に導く手段を考えます。これで失礼します。お蔭で美味しい柿を味わうことが出来ました。あなたもこの国のために動かれるべきでしょう。それが生き残った者の責任です。死んだ人たちに申し訳ないですからね」

 その時、若者の顔と、海を自分の血で真っ赤に染めながら亡くなった東大出身の男の顔が重なって見えた。

 俊雄は、若者の言葉に立っていられないほどの衝撃を受けた。

 「生き残った者の責任……。責任を果たさねばならないのか」

 雑踏の中で、若者の姿を探したが、もうどこにも見えなかった。俊雄の両手には、鮮やかに色づいた2個の柿が握られていた。

(次号に続く)

*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
日経ビジネス2018年5月14日号 58~61ページより目次