全4767文字
前回までのあらすじ

 後に流通業界を代表する経営者となる藤田俊雄。その少年時代にはつらい経験もあった。商売で家計を支えた母とみゑは、遊興にふける夫で俊雄の父、勝一と別れ、亡くなった前夫との間の長男、貞夫の元に俊雄とともに身を寄せる。

 戦況は悪化。俊雄は財閥系企業に就職するが、召集令状が届く。特攻部隊に入った俊雄が海上訓練を受けていると、米軍機が飛来した。

 機銃掃射だ。
 俊雄は慌てて息を吸いこみ、カッター船の下に潜り込む。仲間も潜っている。

 目の前に恐怖におののく仲間の顔が見える。息が苦しいが、耐えるしかない。海面に顔を出せば、撃たれてしまう。

 突然、目の前の海が真っ赤に染まった。目を剥き、頬を膨らませていた仲間の口が開いた。がぼがぼとその口に海水が入っていく。泡が海面に昇っていく。仲間の両手が力なくだらりと下がる。激しく動かしていた足も止まった。

 息が苦しくなり、俊雄は海面に顔を出した。大きく息を吸った。青い空が視界を覆った。

 「大丈夫だ。グラマンは行ってしまったぞ」

 仲間が言った。

 「おい、こいつを引き上げろ」

 上官が指示する。

 仲間が数人撃たれたのだ。1人は既に死んでいた。俊雄の目の前にいた仲間だ。東京帝国大学の哲学科を卒業した男だった。訓練の終わりには、持参した聖書を静かに読んでいたのを覚えている。

 カッター船に遺体が乗せられた。傷を負った者は呻きながら船べりに掴まっている。

 俊雄たち無事だった者がオールを握り、カッター船を漕いで港に戻った。

 「ちきしょう、馬鹿にしやがって」

 上官が悔しさをぶつけた。

 毎日、グラマンがまるで遊覧飛行のように飛んでくる。

 そして基地内や港を機銃で乱射する。下にいる兵士や一般人たちが逃げ惑うのを楽しんでいる。

 パイロットの表情まで見えるほど低空を飛ぶ。それに対してどうしようもない。

 俊雄は、悔しさに歯ぎしりした。

4

──ある夏の日……。

 「兵隊さん、西瓜、いらんかね」

 仲間と基地に還る途中の俊雄に老婆が声をかけて来た。

 小柄な老婆なのに大きな西瓜を2つも抱えている。

 「もう西瓜が出る頃か。美味そうだな」

 「美味いよ。ほっぺたが落ちるよ。うちの畑で採れたんだ」

 自慢げな顔をする。

 「買ってやろうか」

 俊雄は財布を取り出した。

 「いいのか? 軍曹に叱られないか」

 仲間が心配そうに言う。

 「大丈夫だよ。軍曹に半分、分けてやればいい」

日経ビジネス2018年4月23日号 62~65ページより目次