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 俊雄は、体つき、顔つきが勝一に似ている。だから勝一になってしまうのではないか。自分も堅実ではなく、ふらふらと女と酒で身を持ち崩すのではないかと懸念が募るのを抑えられない。

 一方、勝一の思いが全く分からないのかと問われれば、少しだけ分かると言わざるを得ない。

 勝一は寂しかったのだ。よくできる妻であるとみゑには何をやってもかなわない。

 自分のいる場所が無い。それならば居場所を外に見つけるしかないではないか。

 勝一が、俊雄に言いたかったことはそういうことだろう。

 しかし情けない。もし居場所がないなら、安易に女と酒に逃げず自分で努力したらどうなのか。自分は絶対に勝一にはならない。俊雄は絶えず勝一を否定しながら成長した。

 とみゑと勝一は、俊雄が14歳の時に離婚した。

 とみゑは、店はすべて勝一に譲り、自分は出ていくと言った。あれほど精を出して切り盛りしていたのに、何の未練も見せない。せっかく築いた店だからと言って、惜しんでいては別れることができなくなる。

 勝一は、俊雄に一緒に残るかと聞いた。

「嫌です」

 俊雄は明確に答えた。母、とみゑを選んだのだ。我ながら語気の強さにたじろぐ気がした。

「そうか」

 勝一はあっさりと納得した。こだわりの無さは、勝一の良さでもあった。

 しかし寂しさはひとしおではなさそうに見えた。別れる時、俊雄は、少しだけ涙ぐんだ。

 もう二度と会わない。勝一の背中に呟いた。その時、勝一がつけていたポマードの匂いがふいに鼻孔を刺激した。
甘く濃厚な匂いだった。

 その後、勝一は再婚したと聞く。今では音信不通と言ってよい。

 俊雄自身は必死で勝一を忘れようとした。忘れることがとみゑへ孝を尽くすことになる。

 青年の潔癖性に由来するのかもしれないが、自分の体の中にある女にだらしない、浪費家の血を否定することは、とみゑと一緒に生きると決めた自分の責務だと思った。

 勝一と別れたとみゑは、俊雄を連れて貞夫が営む浅草の洋品店に身を寄せた。貞夫は、とみゑの商売を手伝っていたが、川越の店を離れ、浅草で働くようになっていたのだ

 勤務先は、とみゑの弟である緑川武秀が経営する洋秀堂だ。

 武秀は、父の死で実家が没落した後、とみゑと同様に苦労して育った。

 早くから商売の才能を発揮し、浅草の足袋屋を皮切りに、洋服や洋品を扱う店を開いて、独立した。店名は、洋品の「洋」と武秀の「秀」とを合わせ、名付けたものだ。

 独立してますます生来の商才に磨きがかかり、店は大きくなった。そして浅草店以外にも数店を経営するまでになっていた。

 貞夫はそんな武秀のもとで働き、のれん分けをしてもらえるようになったのだった。

(次号に続く)

*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
日経ビジネス2018年4月9日号 60~63ページより目次