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 藤田俊雄は、1924年(大正13年)東京目黒に生まれた。実家は、食品等を扱う商店を営んでいたが、俊雄はそれをあまり手伝うことなく、商業専門学校に通い44年(昭和19年)に繰上卒業し、財閥系鉱山会社に就職した。

 しかしその就職に何か夢や希望を抱いていたわけではない。成人になれば徴兵され、死ぬことが決められた運命だったからだ。

 俊雄が商業学校に通う頃、実家の商売は浅草の洋品店に変っていた。母のとみゑが離婚し、俊雄の異父兄の貞夫とともに始めた商売だった。

 俊雄は貞夫の援助で学校に進学させてもらった。その恩情に応えようと、とみゑに学校を卒業したら商売を手伝うことを相談した。

 しかし、とみゑは俊雄の申し出を言下に拒否した。理由は、兄弟で同じ商売をしたらいけないというものだった。

 とみゑはさらに言った。

 「せっかく学校に行かせてもらったのだからどこかきちんとしたところに勤めなさい。あなたは背が高いし、愛想も言えないから、商売向きではない」

 俊雄は、とみゑの言うことがよく理解できた。

 言われてみれば、商人は小柄で腰が低く、頭を下げていないといけない。

 しかし俊雄は背が高い。決して威圧的な雰囲気はないのだが、とみゑの言う通り体格的には商人向きではないかもしれない。

 それにお世辞を言うのも得意ではない。要するに要領が悪いのだ。

 商業専門学校の軍事教練の際、銃剣を持って敵に見立てた藁人形を突かねばならなかった。

 敵が上陸してきたらこれで突くんだ、と教官である現役の配属将校が大きな声で発破をかける。

 同級生たちは、それに合わせて真面目に、必死に藁人形に突撃する。

 しかし彼らは、陰で、

 「こんなことをしてもなんにもならない。敵は機関銃を持っている。ババババと撃たれて、お終いさ」

 と教練をバカにしていた。

 しかし将校の前では、真面目そのものだ。鬼畜米英の精神の塊になる。

 俊雄は違った。軍事教練が嫌いだったこともあるが、こんな非合理な教練が役に立つとも思えないという考えが露骨に顔や態度に出た。

 大きな声で突撃もしない。必死さが無い。

 将校はそれを見逃さない。

 貴様! と飛んできて、俊雄の頬を思い切りビンタする。

 俊雄は、倒れもせず、じっと将校を見つめる。反省したと思えない、その様子に将校は興奮して、さらに貴様!とヒステリックに叫び、何度もビンタを繰り返す。

 同級生たちは、教練の後、俊雄に、お前は要領が悪いな、適当にやればいいのにとバカにしたような表情でアドバイスをした。

 あの将校は酒が好きなんだ。俺の家は、あいつに酒を持って行っているぜ。お前もそうしろと助言する者もいた。

 俊雄は、頬を腫らして帰宅した。とみゑは、冷やしておきなさいと言うだけだった。

 教官に付け届けを贈ろうかとも、もっと要領よくしなさいとも言わない。

 俊雄は、とみゑの毅然として無視する態度になんとも言えない心地よさを感じた。母は強いと実感する瞬間だった。

 しかし一方、一緒に商売をせず会社に勤めなさいと言うとみゑに言い難い寂しさを覚えていた。

 それには俊雄の複雑な家庭の事情が影響を与えていたのだ。

(次号に続く)

*この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
日経ビジネス2018年4月2日号 82~85ページより目次