男は神田方面へどんどん歩を進める。丸の内とは景色が一変する。どこまでも焼け跡が広がっている。
墓標のように点々とビルが見える。
しかしそれらは大部分が崩れ落ち、骨組みがむき出しになっている。もはや使い物にならないだろう。
それにしても東京は、こんなに広かったのか。
不思議な心地よさを覚える。
終戦が近づく頃、東京は徹底的に焼かれた。
特に昭和20年3月10日の下町を狙ったアメリカ軍による空襲は最悪のものだった。
彼らは日本の家屋を研究し、従来より性能の良い焼夷弾を開発した。Kill ratio(キル・レシオ)、すなわち殺人指数を高める工夫をしたのだ。
そしてわざわざ風の強い日を選んでB-29爆撃機を低空飛行させ、爆撃機の風まで利用して下町を中心に東京の街を、人を焼き払った。
10万人が亡くなり、100万人が被災した。
戦闘員ではない。普通に生活をしていた男や女、老人、子どもたちだ。彼らの夢や幸せは、炎に焼かれてしまった。
俊雄は、焼け跡を眺めながら拳を強く握りしめた。涙は出ない。怒りが湧き上がろうとする。それをなんとか抑える。
怒りをぶつける相手が見えないからだ。アメリカにか、それともこんな愚かな戦争に突入した日本にか。
神田駅近くまで来ると、バラックやテントがひしめく様に立ち並んでいる。 それらにまるで甘い蜜に蟻がたかるように人が集まっている。物を売る声や怒号が飛び交う。煮炊きする煙や湯気が立ち昇る。
「ずいぶん活気がありますね」
「闇市や」
「闇市?」
俊雄が聞き返す。
「みんな生きるために必死なんや」
男が答える。
「こんなにたくさんの物があったのですね」
俊雄は驚きを持って聞いた。
「軍の退蔵物資や田舎の連中が持ち込んだものや」
男は答える。
俊雄は、ふいに男が言った「変な人」という自分に対する評価の答えを聞かされていないことを思い出した。
「ところで、私がどうして変な人なんですか?」
「ああ、そのことや。見てみろ。みんな物々交換しとるやろ。原始時代に戻ったようや。金なんかいらん。物を交換して、必要なものを買うとる。これや」
男は、タバコを見せた。俊雄が男に与えた朝日だ。
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