全4776文字

 俊雄は、ポケットを探った。するとなんとタバコがあった。

 軍で支給された朝日をそのままポケットに入れて放置していたのだ。帰還のどさくさですっかり忘れていた。

 「あっ、すみません。タバコ、ありました」

 俊雄は笑顔で男にタバコを渡した。包みには皺が寄っているが、未開封だ。

 「おっ、朝日じゃないか。嬉しいね。もらっていいのか」

 「どうぞ、どうぞ」

 俊雄は、男に押し付けるように渡した。

 男は、朝日の封を開けると、マッチで火を点け、美味そうに煙を吐いた。

 「マッチだけはお持ちだったのですね」

 俊雄は、男の用意周到さが愉快だと思った。

 「悪いね。タバコだけを切らしたんだ。それにしてもあんた、変な人だね」

 男は、俊雄を見上げて言う。

 男の吐く、タバコの煙が顔に当たる。

 「タバコを差し上げたのに変な人とは、随分な言いようですね」

 俊雄は、腹を立てたわけではない。むしろ男のあっさりとした言い方を好ましいと思った。

 「答えを教えてやる。一緒に歩こうか」

 男は、タバコの煙をくゆらせながら人混みをかき分けて歩く。

 何があるのかと俊雄はその後に続く。

 急に視界が広がった。

 幅広の行幸通りがまっすぐ伸びている。その先には緑をたたえた皇居が見える。戦争前と変らぬ姿に安らぎを覚える。視界に入る丸ビル等、主要な建物は健在だ。

 「丸ビルは焼けなかったのですね」

 俊雄はつぶやく。

 「アメリカさんはよく考えている。日比谷の第一生命館にはマッカーサー様がいらっしゃるらしい」

 ダグラス・マッカーサー元帥は占領軍総司令官だ。男はかなりの情報通で何でもよく知っている。

 男は、ぴょこりと皇居に向かって頭を下げた。

 「アメリカさんは東京を丸焼けにしたけど、皇居は焼かんかったようやな。皇居が残っていたら、日本もやり直しがきくわな」

 男は心地よさそうに口を上に向けて煙を吐いた。男のアクセントに関西弁が混じり始めた。大阪出身なのだろうか。

日経ビジネス2018年4月2日号 82~85ページより目次