米フォード・モーター傘下に入ったマツダ。社運を賭けて、金井氏が開発した新型車「アテンザ」は2002年に発売され成功作となった。金井氏が取り組んできた、仕事のプロセスの見直し、デジタル化、そして、競合車の徹底したベンチマーキングによる「課題の先出し」、これらがすべて盛り込まれたアテンザのヒットをきっかけに、マツダは苦境を脱する。一方で、環境対策、安全対策の要求は厳しくなり、国際競争もますます激化していたが、マツダにはまだ、これらに対する長期戦略が用意されていなかった。

金井 誠太(かない・せいた)
(写真=橋本 真宏)
マツダ会長。1950年1月17日生まれ、広島県出身。74年、東京工業大学工学部を卒業、東洋工業(現マツダ)入社。サスペンションなどシャシー(足回り)のエンジニアとして社歴を重ねる。2002年、主査を務めた初代「アテンザ」は世界的な評価を受けた。06年から研究開発担当の役員として、マツダの全車種を刷新する「一括企画」を主導。専務、副社長、副会長を経て、14年から現職。

 2005年、マツダの業績は急回復中でした。商品力の向上と円安による輸出採算の改善がダブルで効き、06年3月期は、営業利益が当時過去最高の1234億円に達しました。それでも、私の焦燥は増すばかりでした。

 頭が痛かったのは、マツダのサバイバルの大きな手段と期待していた「マツダデジタルイノベーション(MDI)」です。全車種を3Dデータで企画から開発、実験、製造まで、試作車なしで行い、開発期間短縮とコストダウンを狙っていたのですが、効果がなかなか出てこない。