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 派遣先の建設現場では新人の肩に責任やプレッシャーが重くのしかかる。入社後3カ月、半年、1年とこまめに集合研修を実施。同期が一堂に集まり、互いの仕事の内容や目標を発表し、積極的に褒め合うなどして、離職を防ぐ。

 同社では普段、大半の社員が別々の場所で働いている。現場監督の場合、施主や元請け企業と職人との間で、工期などを巡って板挟みになることも多い。「様々な現場で孤軍奮闘する社員が集まって、仲間と悩みや課題を共有し、励まし合える場を作ることが、定着率を高めるカギになる」(堀尾社長)

 全国の主な営業拠点には、入社1~2年目の社員のケアだけを専門的に行う「キャリアサポート課」も設置。仕事や人間関係の悩みや不安などを定期的にヒアリングし、問題が深刻な場合は派遣先を変更するなど迅速に手を打つ。

 共同エンジニアリングは、02年に電気工事などの人材派遣を手掛けてきた野口清氏が設立した。野口氏の人脈で経験豊富な技術者を集め、一定の評価を得るようになっていった。

堀尾慎一郎社長は、若手人材を育て建設業界の高齢化に立ち向かう(写真=尾関 裕士)

 しかし、ベテランがそろっていた半面、社員の高齢化も早かった。気がつけばほとんどの社員が50代以上になっていた。この状況に危機感を募らせていたのが、06年に入社し、16年に社長に就任した堀尾氏だった。

 高校卒業後、石油元売りや先物取引業者などの営業を経て、建設業向け派遣会社に就職。「働き手と企業を結び付けて人生の一歩を踏み出す手伝いができることに、それまで感じたことのないやりがいを覚えた」という。だが、当時の勤務先が吸収合併されたのを機に、知人だった野口氏が経営する同社に、数人の部下を引き連れて移った。

 それから間もなく、08年のリーマンショックが起きる。建設需要が冷え込み、多くの建設関連の技術者が、別の仕事にくら替えしていった。その後、東日本大震災の復興や東京五輪に伴う再開発などで、建設業界は活況を呈する。 だが、残っていた現場の担い手の高齢化は深刻で、41歳の堀尾社長は、「どの現場も父親世代の人たちばかり」になっていることに焦りを感じた。「このままでは会社の未来もない」。そこで15年から、当時専務だった堀尾社長が中心になり、新人の育成に本格的に乗り出し、新卒や中途の未経験者の採用を大幅に拡大した。

世界の建設現場を支える

 堀尾社長の次の目標は、20年までにアジアや中東の石油化学プラントや発電所の建設現場に、100人の若手社員を送り込むことだ。日本企業が海外で手掛ける高い技術力を求められる建設現場でも、中核となる日本人エンジニアの高齢化は進んでいる。

 異文化の中で働かなければならないなど「求められる能力は高いが、希望者は多い」(堀尾社長)。日本が世界に誇る産業インフラ技術。その建設を支える人材の世代交代を、堀尾社長は自らの手で担おうとしている。