開発の中心人物である北條芳治DC企画推進部部長は、縦割り色が強かったカシオにおいては異色の経歴の持ち主だ。カメラの実装設計やレンズ開発のほか、楽器、画像変換など、事業部をまたいでキャリアを積んできた。そしてそれが、「社内の知り合いが増えて、医師のニーズを実現するための技術を集めるのに役立った」(北條氏)という。

 カシオは18年4月、大幅に組織を改編した。事業部が抱え込んできた開発機能は、新設した「開発本部」に一本化。優秀なエンジニアが、複数の商品に目配りできる体制に改めた。商品企画と、営業本部の中にあったマーケティング機能は「事業戦略本部」に統合。和宏社長自身が指揮を執り、長期的な商品戦略を練る部署として再編した(下図参照)。様々な技術資産をつぎ込むことによって完成した医療用カメラの事例が、一つの手本となる。

和宏社長は組織改革を進める
●カシオ計算機の組織の変化
和宏社長は組織改革を進める<br /><small>●カシオ計算機の組織の変化</small>
各事業部の権限が大きく、会社全体よりも自部門の効率を重視することも。コストを重視し過ぎたことが生産技術の空洞化と品質問題の原因に
<span class="fontBold">事業戦略本部を新設し、マーケティングと商品企画を移行。品目別の戦略を決める。開発本部と生産本部は協力して技術を横断的に活用する</span>
事業戦略本部を新設し、マーケティングと商品企画を移行。品目別の戦略を決める。開発本部と生産本部は協力して技術を横断的に活用する

 「鍵盤の土台に、カメラが認識できるような穴を作ってもらえませんか」「なるほど、そういうのが必要なんですね」──。東京都羽村市の研究開発拠点では、17年秋から新型電子ピアノの開発設計の担当者と、生産子会社、山形カシオ(山形県東根市)の担当者が打ち合わせを繰り返すようになった。

<span class="fontBold">電子ピアノの新製品は生産部門が要望を出し、作りやすい設計に</span>(写真=向田 幸二)
電子ピアノの新製品は生産部門が要望を出し、作りやすい設計に(写真=向田 幸二)

 カシオは、これまで全て手作業だったピアノの黒鍵と白鍵を土台に取り付ける工程を一気に自動化するつもりだ。それに向け、取り付ける位置を生産ラインのカメラで認識するための目印など、生産側から出た要望を設計に盛り込んだ。この鍵盤自動生産プロセスは18年11月から中国の自社工場で開始。生産スピードが1.5倍、必要な人員が半分になる見込みだ。

 「生産をEMS(電子機器の受託製造サービス)に頼り過ぎた結果、技術の空洞化と品質問題が起きた」。17年10月に新設された生産本部を率いる矢澤篤志執行役員は振り返る。コスト削減を重視した結果、05~10年のカシオ製品のEMS比率(金額ベース)は7割に上った。そのひずみとして楽器事業で16年、EMSに委託した製品の品質が基準に満たず、納期遅延が頻発した。

 実はこれも、強過ぎる事業部の弊害だった。「どこで製品を作るかを決める権限は、全て事業部が持っていた」(矢澤執行役員)からだ。新製品を設計して生産に移る時、事業部はカシオ社内の生産拠点と社外のEMSをてんびんにかける。全社よりむしろ部門の利益を優先する事業部は、コスト削減に秀でたEMSの採用に流れがち。結果、EMS比率はどんどん上がっていった。

 EMSへの集中と自社拠点の縮小は、品質問題を起こすだけでなく、「ユニークな商品を出す」というカシオの開発の力も落としてしまう。そこで和宏社長は生産本部の新設と同時に、それまで時計とプロジェクターなど一部の製品しか作っていなかった山形カシオを“格上げ”した。全品目の「マザー工場」に位置づけて品目ごとの担当者を置き、開発との連携を強化させた。

<span class="fontBold">山形カシオに18年8月、月産10万個のデジタル腕時計自動生産ラインを導入</span>(写真=向田 幸二)
山形カシオに18年8月、月産10万個のデジタル腕時計自動生産ラインを導入(写真=向田 幸二)

 「開発部門と連携して、製品を自動化ラインに適した設計に変えてもらう。そうすれば、EMSと遜色ないコストで高品質の製品を作れるはずだ」(山形カシオの福士卓社長)。前述の電子ピアノの新製品は、新体制が生んだ第一号だ。17年秋を羽村市で過ごした山形カシオの担当者たちは、18年秋、中国工場で技術指導を繰り返した。

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