「車いすをカッコいい乗り物にする」と語る石井勝之社長

 石井社長は「軽くて丈夫な車いすは日常用でも求められる」という。競技向けに限界まで軽くした部品を取り入れた日常用の車いすを販売する。

 フェラーリとの共通点はほかにもある。デザイン性の高さだ。日常用の車いすでもホイールやフットレストの形や素材、タイヤの色などを自由に選べるようにしている。フレームは実に100色以上から選ぶことが可能だ。

 石井社長は、「カッコいい車いすに乗りたいという、亡き父の願いが反映されている」という。父で創業者の故・石井重行氏は不慮のオートバイ事故で、1984年から車いす生活を送るようになった。ただ当時入手できた車いすは、デザイン性に乏しいものばかり。病院で使われているような地味な車いすをベースに、医療器具メーカーが利用者の体格に合わせて調整していた。

 デザイン性の高い車いすに乗りたいという思いから重行氏は、自ら開発を手掛けるようになる。その延長線上で、89年に車いす事業に乗り出した。

 それまでオーエックスはオートバイ事業を手掛けていた。重行氏は前身のバイク販売店「スポーツショップイシイ」の時代から、自作の部品を付けたオートバイに乗ってレースに出場していた。レース活動で名声を高め、バイクと部品の販売を伸ばした。車いす競技でブランド価値を高め、日常用車いすの販売につなげるというビジネスモデルの源流はここにある。

 軽量化のノウハウは、オートバイレースに勝つために必要な軽い部品を作ることで蓄積していた。高いデザイン性も、オートバイを自ら改造し、カッコよさを追求する中で磨かれていった。

 国内のオートバイ市場が冷え込んできたこともあって、95年にはバイク事業から撤退し、完全に車いす事業にシフトした。ただ扱う製品が車いすに替わっただけで、ビジネスモデル自体は不変だ。医療器具メーカーが席巻していた車いす市場に、オートバイの分野から新風を吹き込み、オーエックスは確固たる地位を築いた。

20年、東京から世界へ発信

 2013年に石井社長が父から経営を引き継いだ直後、パラ五輪の東京開催が決まった。20年の開催まで残り2年となり、オーエックスの開発現場には、機動性や走行性能を高めてほしいという選手からの要望がひっきりなしに届く。石井社長は「東京大会に向けて今後さらに忙しくなるだろう」と話す。母国開催を、自社の製品を海外に発信する絶好の機会と考え、選手が活躍できるよう手厚くサポートする。

 すでにオーエックスは、韓国、台湾、タイで車いすを現地販売している。今後は中国や欧米にも進出する予定だ。海外事業に弾みをつけるためには、東京大会でオーエックスの車いすに乗った選手が活躍することが欠かせない。

 国内でオーエックスは競技用車いすのトップメーカーとしての地位を築いているが、世界に目を転じれば、米トップエンドをはじめとする大手が立ちはだかる。海外進出の命運をかけて、オーエックスは東京パラ五輪で世界の強豪と相まみえる。