「100年に1度」の金融危機を引き起こしたリーマンショックから10年。当初は影響が薄いとみられていた日本経済も大きな痛手を負った。各業界で起こった「変化」を検証する。初回は震源地の金融だ。

(日経ビジネス2018年9月10日号より転載)

(写真=ロイター/アフロ)

 「まさか潰れるとは考えもしませんでした」。康井義貴(当時23歳)は「あの日」のことを、こう振り返る。2008年春に大学を卒業後、リーマン・ブラザーズの日本法人に入社して半年。寝る時間以外は仕事に明け暮れるという、外資系金融マンの典型的な生活にようやく慣れてきた頃の出来事だった。

 入社後、それまで60ドル近辺で推移していたリーマン・ブラザーズの株価は、50ドル、40ドルと日々下がり続けていた。会社がただならぬ状況にあることは想像できたが、どこかの米金融大手に買収されるか、金融当局による救済策で決着すると予想していた。それだけに9月15日、祝日にもかかわらず所属部署の社員が六本木ヒルズのオフィスに集められ、「(米国の本社が)残念ながらチャプターイレブン(米連邦破産法11条)を申請した」と聞かされたときは驚いた。

 職場を失った康井は、ほどなくしてシリコンバレーのVC(ベンチャーキャピタル)に転職。そして12年、QRコード決済の草分け的存在となるオリガミ(東京・港)を設立する。日本におけるフィンテックのパイオニアとして奮闘する同社の今のオフィスがあるのは、くしくもリーマン日本法人があった六本木ヒルズの31階。まさか10年前とまったく同じ場所で、全然違う仕事をすることになろうとは──。

 世界を席巻した米国の投資銀行は、日本でもM&A(合併・買収)の陰の主役となるなど存在感を示してきた。リーマンもその一社だった。あれから10年。今度は康井が立ち上げたようなフィンテック企業が既存金融を脅かす存在として注目を集める。米投資銀行からフィンテックベンチャー経営者へ。康井の変わり身とは対照的に、日本の金融機関は変化に乏しく、時代に取り残された。

資本市場は機能不全に陥った
●リーマンショックまでの経緯とその後の動き、日米株価の推移
(写真=ロイター/アフロ)

不良債権の教訓生きたが……

 「あとで考えるとあれはバブルだった。でも、真っただ中にいると『何でもうかっている商品なのに扱いを止めなきゃならないのだろう』って思ってしまうのが人間の本性でしょ」。康井の上司で元リーマン日本法人社長だった桂木明夫は金融危機をもたらしたサブプライムローンについてこう振り返る。

 リーマンショックをもたらしたのは米国の住宅バブルだ。サブプライムローンと呼ばれる低所得者向けの住宅ローン債権を証券化し、金融商品として次々と流通させた。さらに値上がりする住宅を担保に新たな借金をする「ホームエクイティローン」で身の丈を超える生活を楽しむ。米国の「浪費」で世界が好況を謳歌した。

 そんなバブルがはじけると、強大な力を誇っていた米国の大手金融機関が次々と破綻もしくは破綻寸前に追い込まれる。バンク・オブ・アメリカがメリルリンチを救済合併するなど、業界地図は一変。株価や住宅相場の暴落で多くの人が資産を失い、大量のレイオフで失業者が街にあふれた。

 日本も無縁ではいられなかった。当初、経済財政担当相の与謝野馨(当時)は日本への影響について「蜂が刺した程度」と話したが、株価暴落と急激な円高が直撃。金融市場でマネーが枯渇し、大手企業も資金繰りに四苦八苦する事態となった。

合併や出資を仰ぐことで、危機を乗り切った
●リーマンショック前後の米国の主な金融機関の動き
注:( )内は2017年末時点の資産規模

 もっとも、日本の金融システムが大きく崩れることはなかった。サブプライムローン関連商品をほとんど取り扱っていなかったことに加え、1990年代の金融危機後に進めた不良債権処理や資本増強が一巡していたからだ。「山一証券の廃業や北海道拓殖銀行の破綻の混乱に比べれば、リーマンショックは大したものではない」。2008年当時に大和証券社長だった鈴木茂晴(現・日本証券業協会会長)はこう振り返る。

 だが、傷が浅かったことは結果的にはあだにもなった。業界再編が起きるほどのインパクトがなかったゆえに、旧来型の体制が温存されたからだ。

 リーマンショックが発生した08年、メガバンクに入行したある男性行員は驚いた。「志望通り法人営業の仕事に就いたが、融資などを通じてどれだけ収益をあげたかではなく、貸し倒れに備えた引当金をいくら減らしたかが評価の対象だった」。日本の銀行には、不良債権の削減で生き延びた体験が染みついていた。

 経営トップの中にも反省はある。みずほフィナンシャルグループ社長の坂井辰史はこの10年を振り返り、「守りの姿勢、失敗しないことを優先しがちなマインドセットを変えられず、収益力に課題が残っている」と話す。

 もちろん、銀行だけに責任があるわけではない。09年に施行された中小企業金融円滑化法は、資金繰りに窮する融資先企業から返済猶予の申し込みがあった場合、できる限り応じるよう銀行に努力義務を課した。だが「経営改善計画があるわけでもないのに、既得権のように返済猶予を迫る融資先もいた」(西日本の地銀の法人営業担当者)。混乱を避けるための政策とはいえ、リスクを取って企業を育成するという役割は二の次となった。