シリーズ
ニッポン農業生き残りのヒント

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オランダで先端農業に挑む日本人がいた!
オランダ農業こそニッポン農業が学ぶべきモデルとされる。が、日本は一方的に学ぶことしかできないのか。その答えを探るべく、オランダで会社を立ち上げ、トマトの生産と栽培コンサルティングに挑戦している今井寛之氏に話を聞いた。
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大学博士×グローバル=異次元農場を見てくれ
「農業はクリエーティブなビジネスだ」。そんな言葉を気負いなく語り、日本の農業に漂う閉塞感を吹き飛ばす経営が登場した。35歳の浅井雄一郎氏が経営するトマト農場だ。この挑戦は別次元の飛躍をとげる可能性を秘めている。
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ロボットがイチゴをつくるわけじゃない
宮城県山元町。「ストロベリーロード」と呼ばれる東北有数のイチゴの産地だったが、東日本大震災の津波で深刻な被害を受けた。だが、町の人びとのイチゴへの思いは強く、海岸から離れたところに新しい施設が誕生している。
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再生へ始動「落ちた復興のシンボル」
東日本大震災で津波をかぶった宮城県名取市の農地で昨年9月、野菜の植物工場が再稼働した。もともと震災後に農家が建てて運営していたが、昨年1月に破綻。施設を再建したのは地元の運送会社だ。破綻の経緯と再生の行方を追う。
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もうすぐ発表!コメのランキングはこう決まる
1971年に始まった「食味グランプリ」では毎年2月、「おいしいコメ」の評価結果が発表される。全国各地の作付けと消費に大きな影響を与えるこの評価は、どのように決まるのか。コメの味はどのように変化してきたのか。
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去りゆく美学でコメの世界と決別した
40年以上前、無名だったコシヒカリを見いだし、東京で専売店になった米穀店「三島屋」。時代の先頭を走り続けた同店が2014年秋、ひっそりとその歴史を閉じた。前回に引き続き、三島屋が閉店にいたるまでの経緯をたどる。
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さようなら「魚沼コシ」の開拓者
40年以上前、ほとんど無名だった新潟産のコシヒカリを見いだし、東京に広めた米穀店「三島屋」。同店が閉店して1年ほどが過ぎた。その歴史を元店主の新保圭司郎さんと息子の健介さんに聞く。まずは、コシヒカリとの出会いから。