今秋、無人で水深4000mの海底を探査する国際レースに日本チームが挑む。「チームクロシオ」に8機関・企業の精鋭が集い、探査機の運用や通信技術の高度化を進める。月面や火星表面より不鮮明な地図しかない深海底には、大きなビジネスチャンスが眠っている。
(日経ビジネス2018年7月9日号より転載)
水深4000mの海底で今秋、もう一つの“ワールドカップ”の決勝戦が行われる。米エックスプライズ財団が主催する、無人ロボットによる海底探査レース「シェル・オーシャン・ディスカバリー・エックスプライズ」だ。
賞金総額は700万ドル(約7億7000万円)。参加した全32チームのうち、9チームが予選を勝ち抜いた。そこにアジア勢として唯一食い込んだのが、8つの研究機関や企業の精鋭が集結した日本代表の「チームクロシオ」だ。32歳の若さで共同代表を務める海洋研究開発機構(JAMSTEC)の大木健氏は「我々の技術が世界でどこまで通用するのか確かめたい」と意気込む。
エックスプライズ(決勝)の概要
- 2018年10〜11月に9チームが参加
- 水深4000mで24時間以内に250km2以上の範囲の海底地形データを収集 その後48時間以内にデータから海底地形図を作製
- 探査機材は40フィートコンテナ1個に収まるようにする
- 人間は海上に出てはならない
- 賞金総額は700万ドル(約7億7000万円)
勝負を決めるのは、各チームが作製する海底地形図の広さと精度だ。しかし、エックスプライズ財団が示したルールをクリアするのは極めて難しい。
決勝では海中探査機を水深4000mの海底に送り込み、広さ約500km2の海域を調査する。東京23区(627km2)より一回り小さいほどの範囲だ。このうち最低でも250km2以上の地形を24時間以内に探査して、その後48時間以内にデータから地形図を作って提出する。途中で、海洋生物や海底火山、沈没船などの写真を撮影することも求められている。
チームクロシオ |
メンバーは総勢30人以上。今秋の決勝に向け、クラウドファンディングでも広く支援を募っている
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深海4000mで探査機にかかる水圧は大気圧の約400倍で、太陽の光は全く届かない。電波は海水中ですぐに減衰するため、Wi-FiはもちろんGPS(全地球測位システム)も使えない。レースの環境は宇宙空間よりも過酷だ。
ただし、チームのメンバーが海上に出ることは禁じられている。調査海域近くの陸地に陣取り、人工衛星などを経由して探査機を無線で制御する技術も課題となる。これまでの海底探査では、母船に人間が乗り込み水面上から探査機を操るのが一般的だった。今回のレースでは新しい海底探査方式を考案したうえで、実用に耐える水準まで高める必要があるわけだ。
さらに、全ての投入機材を40フィートコンテナ1個に収容することも条件だ。コンテナの大きさは、長さ約12m、幅と高さがそれぞれ約2.5mほど。無数の探査機を使って物量作戦を展開できないルールになっている。探査機の制御だけでなく、無線通信や構造設計など幅広い技術が問われる、まさに海底探査のワールドカップと呼ぶに値する大会なのだ。
複数台の探査機を同時運用
決勝で求められるのは、規定時間内に可能な限り広い面積を探査すること。速度を高めれば1台の探査機でも不可能ではないが、「引き換えに電池の消耗が激しくなる」(大木氏)。そこでチームクロシオは、1台の洋上中継器(ASV)を調査海域に浮かべ、複数台の自律型海中探査機(AUV)を同時に運用する戦略で勝利を目指す。
深海底には電波が届かないため、海中で自律行動する探査機を陸上から直接監視することはできない。自動航行の中継器を経由して運用するのが現実的だという。中継器は調査海域まで探査機を「エスコート」し、回収して陸地に連れて帰る役目も担う。
カギを握るのは海中探査機の性能向上だ。海水が光や電波を遮るため、地形を探るには「音波」を発して反響を分析する必要がある。だが探査機と海底が離れていると音波が減衰してしまい、正確なデータが収集できない。そのため、探査機は海底から数百mの距離まで潜航する必要がある。
チームクロシオが使うのは東京大学生産技術研究所などが供用・改造する海中探査機で、もともとは2000m級の深海探査を想定した機体だ。決勝に挑むには耐圧性能などの改良が必要だが、機体の大型化はルールに抵触する。
国内から精鋭を集め、多岐にわたる技術の開発・統合を進める
●チームクロシオに参画する8つの機関・企業
海洋研究開発機構 |
プロモーションや資金調達を含めた全体マネジメントを行う |
海上技術安全研究所 |
探査機の改造に携わり、作業場も提供する |
九州工業大学 |
探査機・中継器の制御技術を提供し、技術開発を取りまとめる |
東京大学生産技術研究所
| 探査機を改造しチームに供用。技術開発も担当する |
KDDI総合研究所 |
探査機・中継器のソフトウエア技術を提供し、通信環境も整備する |
日本海洋事業 |
探査機・中継器の運用のための高度な知見を持った人材を提供する |
三井E&S造船 |
中継器の技術開発を行いチームに供用。試験場も提供する |
ヤマハ発動機 |
探査機の改造に協力し、現地活動の準備などマネジメントも行う |
この難題の解決に知恵を絞るのが、ヤマハ発動機からJAMSTECに出向中の進藤祐太氏だ。機械工学を専門とする31歳は、「二輪車設計で培った小型化技術は探査機にも応用できる」と述べる。ヤマハ発動機は船舶用エンジンなどを手掛けているが、海中探査については新参者だ。若手技術者を送り込んで学ばせることで、新たな事業領域を発掘する狙いがある。
音波を使って伝送できる情報量は、電波と比べて非常に少ない。潮流や生き物の鳴き声など様々なノイズが飛び交う海中で、音だけを頼りに通信するのは大変だ。そこで手を挙げたのがKDDI総合研究所(埼玉県ふじみ野市)。海底ケーブル検査のため海中探査機を実用化した研究員が参加し、ソフトウエアと水中音響通信の高度化を担う。加えて、陸上と洋上中継器をつなぐ衛星通信でも同社の技術を利用する。
洋上中継器の船体開発では三井E&S造船、機材の運用では日本海洋事業(神奈川県横須賀市)が協力する。
JAMSTECの大木氏ら4人の若手研究者がエックスプライズへの参加を表明したことが、チームクロシオの原点だ。それぞれの所属機関や外部に理解と協力を得る過程で仲間は増え、現在は8機関の30人以上が知恵を出し合う。約3カ月後に迫った決勝に向け、急ピッチで準備を進めている。
海底に眠る大きな商機
オールジャパンで挑む今秋の決勝戦。優勝すれば名誉と賞金を獲得できるが、チームクロシオが目指すのはさらに先だ。大木氏は「ワンクリックオーシャン」という言葉で、未来構想を表現する。
エックスプライズで競う技術を突き詰めると、人間が陸上に残ったままで海底探査ができるようになる。パソコンで「ワンクリック」するだけで無人ロボットが海底を走り回って情報を収集できれば、母船に人間が乗り込む現在の手法と比べ、探査コストは圧倒的に安くなる。これまで未踏のまま残されていた海域の探査が進展するのは間違いない。未知の海底油田や熱水鉱床を発見できる可能性も高まる。
英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルがスポンサーになった意義はここにある。優秀な成績を収めたチームや技術を取り込むという狙いもありそうだ。
鉱物資源だけではない。海底地形や生態系の情報が得られれば、持続可能な漁業や海洋開発の実現に役立てることもできるだろう。学術研究調査のハードルも大幅に下がる。大木氏は「エックスプライズで得た成果は8機関だけで独占せず、可能な限り公開していく」と話す。
観測技術が発達したことで月面ならば10m単位、火星でも100m単位で地形図を描けるようになった。一方、海底地形の大部分は1000m単位でしか分かっていない。これまでに12人が月面を歩いたが、チャレンジャー海淵の最深部に到達したのは3人だけだ。
「海底地形はまだ分かっていない」という事実を多くの人が知ることで、探査技術を活用するチャンスも広がるだろう。日本の周囲には広大なフロンティアが広がっている。チームクロシオの挑戦は、身近にある「未知」の再発見につながりそうだ。
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