イチロー選手の9年連続200本安打達成の瞬間が目前に迫っている。
 このテキストがアップされる頃には、記録は過去のものになっているかもしれない。

 と、お国は、イチロー選手に国民栄誉賞を授与するのであろうか。
 私は、ここに注目している。

 記録はいずれ達成される。わかりきったことだ。
 重要なのは、その記録をわれわれがどんなふうに報道し、評価し、利用し、描写するのかだ。イチロー自身は、淡々と通過するのみなのだと思う。彼にはわかりきったことなのだからして。

 ご存じの方も多いと思うが、イチロー選手は、これまでに二度、国民栄誉賞の授与を打診されており、いずれも辞退している。

 二度にわたって打診した政府の姿勢も異様だが、それを二度とも辞退するイチローの精神のありようも並大抵のものではない。だからこそ私は三度目に注目している。三度目の正直の三顧の礼の三振。もし実現したら、素晴らしく面白い見世物になる。
 
 政府がはじめて国民栄誉賞について内意を問うたのは、2001年、イチロー選手がメジャーリーグで日本人選手初の首位打者(ほかに新人王、盗塁王、MVP)を獲得した時のことだ。

 記録によれば、時の小泉内閣から授与について打診があったのだという。対してイチロー氏は

「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」

 と答えて、これを固辞している。
 ところが、3年後の2004年に、イチロー選手がメジャーリーグのシーズン最多安打記録を樹立すると、政府は、再び国民栄誉賞の授与を画策する。

 で、再度イチロー選手にその旨打診した。
 が、イチローはこの時も辞退した。

 今回、もし万が一、国民栄誉賞が話題にのぼるのだとすると、三度目ということになる。仏の顔もサンドバッグ。故郷をはるか三度笠。お国はどうするのだろうか。三度目の屈辱ということになると、もう安全な退避先は無いわけだが。
 
 前回、2004年にイチローが二度目の辞退をした折、私は、自分のブログに、「いっそ非国民栄誉賞はどうだ?」という意味のテキストを書いた。

 イチローが非国民だと言いたかったのではない。
 逆だ。

 一度辞退した人間に、再度受賞を促す内閣のやり方に傲慢さを感じて、その態度に「非」の字をつけてみたくなったということだ。
 当日のブログを転載する。

※イチロー、国民栄誉賞再度の辞退「まだ未熟者ですから」 - asahi.com : 社会

当たり前だよな。
いまさらこんなドメスティックな枠組みにはめこもうとする方がどうかしている。

たとえばの話、モーツァルトにレコード大賞をあげようとしたら、あいつはどう言うだろう。
いや、むしろ夏目漱石に芥川賞とかだろうか。
ネタのセコさで言うなら、ジェームスディーンにベストジーニスト賞。
あるいは、大きく出てイエス・キリストにノーベル平和賞。
いずれにしても、アメ玉を貰って喜ぶのは腹を減らした人間だけだ、と。
 
 そもそも、非凡な個人を、「国民」の名において顕彰すること自体が筋違いなのだな。
 もうすこし詳しく言うなら、国家的な思惑や助力とはまったく無縁な地点で、一個の人間が、個人の才覚と努力を通じて勝ち得た業績に対して、お国が点数をつけるようなマネは、失礼だ、と、そういうことだ。

イチローのような存在をつかまえて
「あなたは立派な日本人でした」
 という言い方をするのは、侮辱にさえなりかねない。
「あなたは、日本人離れして立派でした」
 というんなら別だけど。
 ってことは、授与すべきなのは非国民栄誉賞か?

いいぞ。それだったら、オレもほしいな(笑)。

 ……二度目の辞退について、当時、世間では、「あまりに失礼」「傲慢」「何様?」という声が上がった。
 半面「当然」「立派」「ナイス見逃し」と、快哉を叫ぶ声もまたそれ以上に大きかった。

 私自身は、辞退そのものよりも、二度目の打診に驚いていた。だって、「二度は断れないだろう」という予断があまりにも見え見えで、そこのところのカタにハマった人間観がいかにもお役人らしかったからだ。

 が、イチローは固持した。素晴らしい。
 真に卓越した個性は、空気を読まない。それがアウトスタンディングということだ。

 誰が赤っ恥をかくことになろうと、要らないものは要らないよ、と、はっきりと態度で示す。素晴らしい。

 バレンタインデーのチョコレートを返却した経験を持つ男(←各方面から非難囂々だった。とてもつらい思いをした)として、私はイチロー選手の首尾一貫を全面的に評価したい。

 ちなみに、どんな世界にも先駆者はいる。

 世界の盗塁王・福本豊氏は、1983年に当時の中曽根康弘首相から受賞を打診された折り、「そんなもんもろたら立ちションもでけへんようになる」という驚異的な理由でこれを固辞したという。砂煙の向こう側に消えていく韋駄天の後足。なんという鮮やかな離塁。誰も福本に追いつくことはできない。一部で、日本一面白いと言われる福本氏の解説が、関西ローカルでしか聞けないのは、この国の恥辱だと思う。
 

 ということで、今回は、「賞」について考察する。勲章、文学賞、各種業界イベントとしての賞イベントなどなどについて。

 まず、「国民栄誉賞」について。
 これは、通常の「勲章」とは別立てのものだ。

 まず、出所が違う。
 勲章が天皇の名において授与されているのに対して、国民栄誉賞は、内閣総理大臣表彰のひとつだ。つまり、国家元首由来の栄誉ではなくて、時の政府の意向を反映した顕彰だ。

 背景には、勲章は授与する際の基準が固定的だということがある。政府にしてみれば、当代の人気者や話題の人物を顕彰することで点数を稼ぎたいところなのに、現行の勲章ではそれができない。

 王貞治氏や、美空ひばりさんのような人物は、どんなに「国民的」な人気を集め、どれほど国家に多大な貢献をしていても、旧来の基準からは、叙勲の対象にならない。というのも、叙勲の基準となる「地位」や「肩書き」とは無縁な存在だから。そこで、総理府(当時。現内閣府)としては、叙勲制度のアナを埋めるみたいな気分で、この新しい表彰制度を創設したのだと思う。

 ということは、どっちが偉いのだろう。
 ん? こういう言い方は不適切だろうか。
「偉さを比較する見方は下品です」
 と、たぶん当時の総理府はそう言うはずだ。
 勲章は、神聖なもので、素人が勝手に値踏みできるようなものではないのですよ、と。

 でも、勲章って、そもそも「値踏み」じゃないのか?

 彼らはわれわれを値踏みしている。値札をつけて、棚に並べようとしている。
 でなくても、人間に等級をつけて、誰がどれだけ偉くて、誰に比べて誰がどれほど偉いのかを天皇の名において明らかにしようという試みを実体化したものが、すなわちブツとしての勲章なのであって、このこと自体、法のもとの平等を毀損しかねないお話だ、と、私はそう思っている。

 元来、勲章に付随する等級(「勲一等○○賞」といった但し書き)は、律令制における順位である、「位階」(正一位から、従一位、正二位……従三位と続く)と一対一で対応するものだった。
 つまり、古い時代の勲章は、官僚の官位を表象化したギミックだったのである。

 もちろん、現代の勲章は律令制とは無縁のものだ。
 それに、現在の叙勲制度では、勲章のひとつひとつについて勲一等から勲十二等までノベタンで並べるような露骨な序列化は採用していない。少なくとも、建前の上では。

 が、序列や等級についてはともかく、名称やデザインや適用範囲など様々な点で、勲章には律令制以来の伝統の名残りが残存している。というよりも、伝統と無縁な勲章には、そもそもありがたみが宿らない。だから、勲章は伝統を模倣する。そのよって立つところの伝統が、どんなに封建的で身分主義的な伝統であったのだとしても、だ。

 現在のわが国は、律令制がドライブするところの国家ではない。明治政府でさえ、もう少し近代的だった。
 にもかかわらず、われわれの近代国家が、勲章のような、言ってみれば、積極的な差別発生要因を、その制度の中枢に残存させねばならなかった理由はどこにあるのだろうか。

 理由はおそらく戦争だ。
 戦争で死んだ人々や、従軍して国のために尽くした兵士に報いるために、国は、何らかの明確な名誉の証を贈らねばならなかった。そうしないとスジが通らないからだ。

 で、戦死した兵士はもちろん、負傷した二等兵や、局地的な勝利に貢献した隊長や、最終的に戦争の勝利をもたらした将軍の名前を名誉あるものとして顕彰し、長く後世に伝えることにした。そして、その名誉の象徴として、勲章を授けることにしたのだ。

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