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契約書を精査していれば……

 しかし昨年、施設を引き払う事態に陥りました。我々は二期倶楽部の運営は手掛けていましたが、大半の土地や建物は栄光が所有していました。その栄光が、星野リゾートグループに二期倶楽部を売却したのです。「二期」は自分の子供のように育ててきた大切なブランドです。それを失ったことは、生木を裂かれるような経験でした。

高級文化リゾートの先駆けとして知られた二期倶楽部。建築関連の受賞も多く、皇族も利用するホテルとして知られていた

 なぜこんなことになってしまったのか。我々は栄光から二期倶楽部を20年間賃借する契約を交わしていました。20年の間に我々が資金を準備し、栄光から施設を買い取ることが前提の「つなぎの契約」。これが当時の私の認識でした。買い取りの意思は栄光に伝え、了承を得たと思っていましたが、確約する書面を交わしてはいませんでした。私や雅史氏の元教え子でもあった栄光の経営陣を信じ、提示された契約書にそのままサインしたことが失敗でした。

 11年の東日本大震災の後、我々は傷ついた施設の修繕を栄光側に求めましたが、修繕範囲に関する意見の食い違いもあり、要望は受け入れられませんでした。本館は震災から13カ月間営業ができず、二期倶楽部の稼働率は3割まで落ち込みました。

 このため、栄光への対抗措置として家賃の支払いを拒否しました。ただ、賃貸借契約書には3カ月以上の家賃滞納が退去を要求できる条件として記されていたため、栄光は施設の引き渡しを求めて二期リゾートを提訴しました。

 裁判闘争の最中の13年11月、栄光は施設の星野側への売却を通知。その翌日に星野は二期倶楽部の買収について公表しました。突然の売却話は私にとって青天のへきれきでした。

 その後、二期リゾートが星野側から施設を買い戻す和解案を提示。私は自宅を売却してまで資金を準備しましたが、星野側は「運営する目的で施設を買った。転売の意図はない」と回答。和解協議は不調に終わりました。

 私の脇の甘さ、社会経験のなさがこの事態を招いたと思っています。賃借契約を結んだ時点で、賃料の一部を将来の買い取り費用に充当したり、二期リゾートが営業面でのリスクを負わない形の受託契約を結んだりする方法もありました。後になって、弁護士からなぜもっと有利な契約を結ばなかったのかと指摘されました。

 雅史氏も株式の取得争いに巻き込まれ、自身の意向とは全く違う形で栄光の経営から退きました。雅史氏の対応にも稚拙なところはあったのだと思います。契約社会とはそうした備えを怠ったものが負ける世界なのでしょう。 しかし近年、こうした合理性を重視しすぎるきらいがあるのではないかとも思っています。人と人との信頼関係に基づいた予定調和の商習慣は、本当に必要のないものでしょうか。企業は経済的成功だけではなく、固有の倫理観、価値観を忘れてはならないと思います。

 思想家としても知られる数学者の岡潔氏は、情緒こそ人の中心にあるものと唱えていました。情緒を失えば、行き着く先は、ぺんぺん草も生えない修羅の世界です。餓鬼やロボットのような人しか生き残れません。